写経会のときに どんな話しをしているの? その14
東光寺(静岡市清水区横砂)で行われている写経会で、副住職(新米和尚)の法話と配布させていただいている絵葉書を紹介させていただきます。
※なぜ、絵葉書と法話(仏教のお話)が登場するのかはこちらをご覧ください。
※写経会の御案内はこちらをご覧ください。
今回は第14回目です。
【自灯明:じとうみょう】

お釈迦様が亡くなられるときに
自灯明【じとうみょう】
という言葉を残されています。自灯明には
自分自身を拠り所にする
という意味があります。 では、拠り所となる「自分自身」とは何のことでしょうか・・・・
難しいことなのですが、
拠り所となるのは、「悟り」とも表現される、「こだわりのない仏様のような心」だと表現することができるのではないでしょうか。
このように言われると 「私には仏様のような心なんてありません!!」 と感じる方もいらっしゃると思います。
私自身も、そのように感じていました。 しかし、ある和尚様が
子供は親を選べない
親は子供を選べない
しかし
受け入れる
こだわりのない心で
受け入れる
「みなさん、子供を子供として、親を親として受け入れているじゃないですか。受け入れるこだわりのない心こそが、仏様の心なんですよ!」
と表現されていました。
「仏様の心」の表現方法の1つとして、私は非常に分かりやすかったので今回の絵葉書には
「自灯明」 と 「子供は親を・・・・」
という言葉を載せさせていただきました。
※なぜ、絵葉書と法話(仏教のお話)が登場するのかはこちらをご覧ください。
※写経会の御案内はこちらをご覧ください。
今回は第14回目です。
【自灯明:じとうみょう】

お釈迦様が亡くなられるときに
自灯明【じとうみょう】
という言葉を残されています。自灯明には
自分自身を拠り所にする
という意味があります。 では、拠り所となる「自分自身」とは何のことでしょうか・・・・
難しいことなのですが、
拠り所となるのは、「悟り」とも表現される、「こだわりのない仏様のような心」だと表現することができるのではないでしょうか。
このように言われると 「私には仏様のような心なんてありません!!」 と感じる方もいらっしゃると思います。
私自身も、そのように感じていました。 しかし、ある和尚様が
子供は親を選べない
親は子供を選べない
しかし
受け入れる
こだわりのない心で
受け入れる
「みなさん、子供を子供として、親を親として受け入れているじゃないですか。受け入れるこだわりのない心こそが、仏様の心なんですよ!」
と表現されていました。
「仏様の心」の表現方法の1つとして、私は非常に分かりやすかったので今回の絵葉書には
「自灯明」 と 「子供は親を・・・・」
という言葉を載せさせていただきました。
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