本当の”とらわれのない姿” 花無心招蝶
つつじの花が満開を迎えたとき
「きれいだ」
と感じました。
やがて、数日経つと花は枯れていきます。
「あぁ~、見ごろが過ぎちゃったなぁ」
と思っていました。

満開の頃は、花の近くを通るたびに足を止めていたのに、花が枯れ始めたら足を止めることがなくなりました。
ところが・・・・
ある日、枯れ始めた花に蝶々がやってきたことに気がつきました。
満開を過ぎたら足を止めなくなった私とは違い、蝶々は満開か枯れかけているかは関係ないのです。
そこに花があるからやってくるのです。
禅の言葉に
花無心招蝶 蝶無心尋花
〔花は無心にして蝶を招き、蝶は無心にして花を尋ずぬ〕
という言葉があります。
花は無心だけれども蝶を招き寄せ、蝶は無心で花を尋ね飛ぶ。
という意味です。
もちろん、自然を観察しただけの言葉ではありません。
無心を示す言葉です。
とらわれ、はからいなど、心にかかるものが全くない世界を表現しています。
枯れかけた花に蝶がやってくる姿を見て、花に「美しい」とか「ピークを過ぎた」などと勝手な名前をつけてしまっている自分に気がつきました・・・
蝶は無心にして花を尋ね 私は無心になれず花を見る
反省です。
「きれいだ」
と感じました。
やがて、数日経つと花は枯れていきます。
「あぁ~、見ごろが過ぎちゃったなぁ」
と思っていました。

満開の頃は、花の近くを通るたびに足を止めていたのに、花が枯れ始めたら足を止めることがなくなりました。
ところが・・・・
ある日、枯れ始めた花に蝶々がやってきたことに気がつきました。
満開を過ぎたら足を止めなくなった私とは違い、蝶々は満開か枯れかけているかは関係ないのです。
そこに花があるからやってくるのです。
禅の言葉に
花無心招蝶 蝶無心尋花
〔花は無心にして蝶を招き、蝶は無心にして花を尋ずぬ〕
という言葉があります。
花は無心だけれども蝶を招き寄せ、蝶は無心で花を尋ね飛ぶ。
という意味です。
もちろん、自然を観察しただけの言葉ではありません。
無心を示す言葉です。
とらわれ、はからいなど、心にかかるものが全くない世界を表現しています。
枯れかけた花に蝶がやってくる姿を見て、花に「美しい」とか「ピークを過ぎた」などと勝手な名前をつけてしまっている自分に気がつきました・・・
蝶は無心にして花を尋ね 私は無心になれず花を見る
反省です。
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