昔話に学ぶ 分福茶釜 その12 あふれだすお湯
この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。
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※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。
昔話に学ぶ 分福茶釜 その12 あふれだすお湯

分福茶釜シリーズその12です。
これまで、昔話の分福茶釜を紹介しながら、その中にある仏教の教えや禅の教えを紹介してきました。
今回は最後の話しです。
実は、これまで紹介してきた分福茶釜は一般的に知られているお話でしたが、このお話の元になったお寺があります。
それは、現在の群馬県にある茂林寺というお寺なんです。
「え、しゃべる茶釜を気味悪がってくず屋にあげちゃった和尚さんが本当にいたんですか?」
と、思うかもしれませんが・・・
残念ながらそうではありません。
実際に”ある茶釜”が祀られているお寺なんです。
その茶釜をヒントにして、これまで紹介してきた昔話が誕生したのかもしれません。
では、どんな茶釜なのでしょうか。
お寺に伝わる話によると・・・
そのお寺の一番最初の和尚様といっしょに働いていた男がいたそうです。
その男はお寺の代々の住職に仕えました。
やがて、七代目の和尚様が茂林寺で千人が集まるお茶会を開催したそうです。
大勢の来客があるので大量の湯釜が必要となります。
その時、お寺を手伝ってきた男が、どこからか一つの茶釜を持ってきて、茶室に置いたそうです。
そして、なんと、この茶釜は不思議なことにいくら湯を汲んでも尽きることがなかったのです。
男はこの茶釜を、
福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と名付け、この茶釜の湯で喉を潤す者は、開運出世・寿命長久等、八つの功徳に授かると言ったそうです。
男はその後もお寺を支え続けましたが、最初の和尚様がお寺に入ってから160年が経ったころ、お世話になった人々に源平屋島の合戦と釈迦の説法の二場面を再現して見せいなくなったそうです。
後になってこのことが、明治・大正期の作家によってお伽噺「文福茶釜」として出版され、茶釜から顔や手足を出して綱渡りする狸の姿が、広く世に知られる事になったそうです。
原作とこれまで紹介してきた昔話に少し違いはありますが、原作も大切なことを教えてくれています。
分福茶釜の由来は千⼈が集まったとき、⼀昼夜汲み続けても釜の湯はなくならなかった茶釜です。
これは、何を伝えようとしているのでしょうか。
当然、そんな不思議な茶釜があることを伝えようとしているのではありません。
お湯が何かを示しています。
お湯は身体の内側から私達を温めてくれます。
私達を内側から温めてくれるものとはなんでしょうか。
それは心です。
普段から坐禅会でお唱えしている「白隠禅師坐禅和讃」は
衆生本来仏なり(しゅじょう ほんらい ほとけなり)
と始まります。
誰にでも 本当は 素晴らしい心がある
という禅の教えです。
その素晴らしい心は、どんなに使っても決して減ることはありません。
「心がすり減っていく」と感じることがあるかもしれません。
「心が辛くて立ち上がれない」と感じることがあるかもしれません。
そんなときは、ゆっくりと休んでみてください。
心は少し回復しませんか。
ゆったりと 身体と呼吸を調えると心は回復しませんか。
誰もが素晴らしい心を持っています。
茶釜のお湯を使っても、そのお湯が枯れることがなかったように、私達がもっている素晴らしい心も誰かのために枯れることはありません。
そのことを、茶釜は伝えてくれているのです。
分福茶釜の話を聞いたときには、これまで紹介してきたことと一緒に
「私達は誰もが素晴らしい心を持っていて、その心を誰かのために使っても枯れることはない」
ということを思い出して、たくさん、その心を使ってみてください。
そして、心が疲れたと感じたら、今日の坐禅と同じように背中を伸ばして身体をまっすぐにして、ゆっくりと呼吸をしてみてください。
そうすると、枯れることがない素晴らしい心が自分の中にあることを実感できるはずです。

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