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御宸翰と報恩と怨念 その2 【報恩と怨念】

前回の記事では「巡教・開教・御宸翰って何?」と題して、

・巡教 (各地を巡回して教えを説く)
・開教 (教えを聞く場を開く)
・御宸翰 (花園法皇のお手紙)

について紹介をしました。
※記事はこちらです。



今回は花園法皇・御宸翰に書かれた「報恩謝徳」という言葉、特に「報恩」を紹介させていただきます。



「報恩(ほうおん)」とは、恩(おん)に報(むく)いるという意味です。


「恩」とは、私達が受け取っている恵みのことであり、その恵みに報いることを「報恩」と言っています。


では、恩に報いるとは何でしょうか。


「恩」という言葉を聞くと、「恩返し」という言葉を思い出します。


恩返し = 報恩 


なのかと言えば、そうではありません。


私は、報恩という大きな袋の中に恩返しが入っていると考えています。




恩返しも報恩の1つではありますが、それが全てではありません。


私は以前、パソコンで作業をしているときに「恩」という文字を使いたいときに「おん」と入力をして変換したところ「怨」と出てきて、驚いたことがあります。


そして、驚くと同時に


同じ「おん」なのに「怨」と「恩」では、ずいぶん意味が違うけれど、漢字の成り立ちに何か意味があるのか気になりました。


そして、調べてみると漢字の成り立ちと、自分の体験がぴったりと合っていてさらに驚きました。



600オンライン坐禅会 法話 一般向け 報恩 恩と怨 20230411




「恩」という漢字の成り立ちは

因+心です。

因は「口」の中に「大」です。

「大」は象形文字で、手足を広げた人の姿と言われています。

「口」敷物を意味しています。

と言うことは、敷物(布団など)に人が手足を広げて寝ているのです。

手足を伸ばすのですから、安心した姿です。

その安心した姿に「心」をつけたのが「恩」なのです。




では、「怨」はという漢字はどうでしょうか。

「怨」は 夗+心 です。

「夗」は、丸くかがめ、曲げて押し込める様子を表す漢字です。

これに「心」をつけて、怨となります。


心を曲げて押し込められた状態ですので、精神的にとても苦しめられている状態です。

だからこそ、「うらみ」を示す言葉となるのです。






私は、自分の心が「怨」から「恩」に変化したことがあります。


それは、大腸の病気を患ったときのことです。


原因がいまだに特定されていない、難病になったことがあります。


なぜかわからないのですが、自分の免疫機能が暴走をして自分の大腸を攻撃してしますのです。


始めはお医者さんに食あたりと言われるくらいの腹痛から始まりましたが。


その痛みはどんどん激しさを増していきました。


結局最初の腹痛から入院するまでの5か月間は、日に日に増していく腹の痛みと、痛みとほぼ同時に襲ってくる下痢に悩まされ続けました。



最終的には入院することになりました。


入院するくらいですから、症状は悪く、様々な投薬などの治療をしましたが、良くはなりませんでした。


「なんで私がこんな病気になるだ!」


「何にも悪いことをしていないのに!!」


「俺より悪いことをしている奴 いっぱいいるじゃないか!!!」


入院中に考えること、自分や周囲への恨みばかりでした。


入院中、治療は基本的に点滴や投薬でした。


治療自体はつらくありませんでしたが、検査は非常につらかったです。


絶食をしているにも続く下痢。出るのは血液ばかりです。


そのため、腸内の見る検査をしなければなりませんでした。


大量の下剤を飲んで、大腸の中を空っぽにしてからカメラを大腸に入れます。


下剤は微妙に味がついていましたらが、8リットルを2時間で飲み干さなければならず、検査の準備で体調はどんどん悪化していました。


さらに、いよいよ検査と言うときには、体が様々な拒否反応を示し、信じられないほどの寒気と、震えに襲われました。


それでも、「せっかく準備をしたんだから がんばろう」と検査を進めようとする先生に心の中で


「なんでこんなに苦しい思いをしなければいけないんだ!!」


という誰にもぶつけられない恨みの心を持っていると


1人の看護師さんが私の背中にそっと手を置いてくれたのです。


手を置いてくれたことに気がついたとき、私は


「そんなことで楽になるなら、病院なんていらないだろ」


と心の中で思っていました。




しかし、違ったのです。その温かい手のぬくもりを感じているうちに、スーッと心が落ち着いてきたのです。


もちろん、痛いし、気持ち悪いのです。


それでも、心がスーッと軽くなったのは今でもよく覚えています。


私という人間が変わったわけではありません。


病気が治ったわけでもありません。


苦しんで受けた検査の結果が良かったわけでもありません。


まさに、「怨」が「恩」に変わった瞬間でした。




何かをきっかけに、自分の心が変わることで、「怨」が「恩」というように180度変わることがあることを実感した出来事でした。


(その3に続きます)
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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