御宸翰と報恩と怨念 その1 【巡教・開教・御宸翰って何?】
臨済宗には巡教(じゅんきょう)という制度があり、臨済宗妙心寺派では、春と秋に巡教が行われます。
本山の教えを多くの方に伝えようとする行事で、禅の教えを伝える布教師という僧侶が、各寺院で法話をするのが巡教です。
そして、布教師を招いて檀信徒の皆様に法話を聞いていただくことを、開教(かいきょう)と言います。
「お寺の行事や法事、お葬式の後に、法話を聞いたことがあるよ!巡教とか開教と何が違うの?」
と感じる方もいらっしゃると思います。
少しでも、禅の教えや仏教の教えを伝えたいという思いに違いはありません。
ただ、日常の法話のときにはあまり見ないけれど、巡教のときには必ず登場するものがあります。
大きな違いはここにあるかもしれません。
それが、「花園法皇・御宸翰」です。
「はなぞのほうおう・ごしんかん」

と読みます。
御宸翰とは天皇自筆の文書のことです。
花園法皇・御宸翰とは、650年以上前に書かれた、花園法皇様のお手紙です。
花園法皇という呼び方は、
花園天皇が退位された後、花園上皇になられ、その後禅の修行をされたため花園法皇とお呼びしています。
巡教・開教の際には必ず、この御宸翰を奉読させていただいています。
なぜ、手紙を読むのか?
このお手紙は、花園法皇様が妙心寺の最初の住職である関山上人禅室(関山慧玄禅師・かんざんえげんぜんじ)に宛てたものです。
そう言われると、ますます奉読する意味が分からないかもしれません。
しかし、もちろん意味があります。
実は、お手紙の内容が「禅の教えを伝えるためのお寺(妙心寺)を作って欲しい」と切に願うものなのです。
そして、この決して長くないお手紙を奉読したとき、私達は花園法皇様のどのような想いが関山慧玄禅師に伝えたかを感じることができるのです。
花園法皇御宸翰は次のように始まります。
往年(おうねん)先師(せんし)大燈国師(だいとうこくし)の所に在(あ)りて、この一段(いちだん)の事に於(お)いて休歇(きゅうけつ)を得たり。
特に衣鉢(えはつ)を伝持(でんじ)するの後、報恩謝徳(ほうおんしゃとく)の思い、興隆仏法(こうりゅう ぶっぽう)の志(こころざし)、寤寐(ごみ)にも忘ることなし。
現代語訳しますと
昔、私は師匠大燈国師の下で修行し、禅の奥義を究め大安心を得ました。
後継者と認められてからは、ご恩に報いる感謝の気持ちと、仏教を盛んにしたいという願いは、寝ても覚めても忘れたことはありません。
となります。
禅の修行をされ、悟りを開かれた花園法皇様が願ったのは
「報恩謝徳」と仏教の教えを盛んにしたいという「仏法興隆」だったのです。
「報恩謝徳」は「おかげさま」とも言い換えることができる、臨済宗妙心寺派では常に「おかげさま」を大切にしています。
このような今でも大切にしている「おかげさま」の源流とも言える御宸翰を奉読し、仏教の教えが広がる巡教・開教が始まるのです。
御宸翰は少し難しい言葉が続き、現代では使われない言葉も多く出てくるので、なかなか聞いているだけでは意味が分からないこともあると思います。
しかし、どこかで「花園法皇・御宸翰」に出会う機会がありましたら、
ご恩に報いる感謝の気持ちと、仏教を盛んにしたいという願いを感じながら、手を合わせて御拝聴いただければ幸いです。
本山の教えを多くの方に伝えようとする行事で、禅の教えを伝える布教師という僧侶が、各寺院で法話をするのが巡教です。
そして、布教師を招いて檀信徒の皆様に法話を聞いていただくことを、開教(かいきょう)と言います。
「お寺の行事や法事、お葬式の後に、法話を聞いたことがあるよ!巡教とか開教と何が違うの?」
と感じる方もいらっしゃると思います。
少しでも、禅の教えや仏教の教えを伝えたいという思いに違いはありません。
ただ、日常の法話のときにはあまり見ないけれど、巡教のときには必ず登場するものがあります。
大きな違いはここにあるかもしれません。
それが、「花園法皇・御宸翰」です。
「はなぞのほうおう・ごしんかん」

と読みます。
御宸翰とは天皇自筆の文書のことです。
花園法皇・御宸翰とは、650年以上前に書かれた、花園法皇様のお手紙です。
花園法皇という呼び方は、
花園天皇が退位された後、花園上皇になられ、その後禅の修行をされたため花園法皇とお呼びしています。
巡教・開教の際には必ず、この御宸翰を奉読させていただいています。
なぜ、手紙を読むのか?
このお手紙は、花園法皇様が妙心寺の最初の住職である関山上人禅室(関山慧玄禅師・かんざんえげんぜんじ)に宛てたものです。
そう言われると、ますます奉読する意味が分からないかもしれません。
しかし、もちろん意味があります。
実は、お手紙の内容が「禅の教えを伝えるためのお寺(妙心寺)を作って欲しい」と切に願うものなのです。
そして、この決して長くないお手紙を奉読したとき、私達は花園法皇様のどのような想いが関山慧玄禅師に伝えたかを感じることができるのです。
花園法皇御宸翰は次のように始まります。
往年(おうねん)先師(せんし)大燈国師(だいとうこくし)の所に在(あ)りて、この一段(いちだん)の事に於(お)いて休歇(きゅうけつ)を得たり。
特に衣鉢(えはつ)を伝持(でんじ)するの後、報恩謝徳(ほうおんしゃとく)の思い、興隆仏法(こうりゅう ぶっぽう)の志(こころざし)、寤寐(ごみ)にも忘ることなし。
現代語訳しますと
昔、私は師匠大燈国師の下で修行し、禅の奥義を究め大安心を得ました。
後継者と認められてからは、ご恩に報いる感謝の気持ちと、仏教を盛んにしたいという願いは、寝ても覚めても忘れたことはありません。
となります。
禅の修行をされ、悟りを開かれた花園法皇様が願ったのは
「報恩謝徳」と仏教の教えを盛んにしたいという「仏法興隆」だったのです。
「報恩謝徳」は「おかげさま」とも言い換えることができる、臨済宗妙心寺派では常に「おかげさま」を大切にしています。
このような今でも大切にしている「おかげさま」の源流とも言える御宸翰を奉読し、仏教の教えが広がる巡教・開教が始まるのです。
御宸翰は少し難しい言葉が続き、現代では使われない言葉も多く出てくるので、なかなか聞いているだけでは意味が分からないこともあると思います。
しかし、どこかで「花園法皇・御宸翰」に出会う機会がありましたら、
ご恩に報いる感謝の気持ちと、仏教を盛んにしたいという願いを感じながら、手を合わせて御拝聴いただければ幸いです。
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