昔話に学ぶ 分福茶釜 その8 ここが極楽
この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。
※東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)についてはこちらをご覧ください。
※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。
昔話に学ぶ 分福茶釜 その8 ここが極楽

分福茶釜シリーズその8です。
前回の話しでは、見世物小屋で成功をした男が儲けたお金で分福茶釜をタヌキに戻す方法を調べた場面を紹介しました。
分福茶釜は茶釜に化けたものの元の姿に戻れなくなり、仲間のタヌキにもイジメられていました。
男はそのことも知っていたので、元の姿にもどしてやりたかったのです。
しかし、分福茶釜は「そんなことをしたら、見世物小屋で稼げなくなって貧乏になってしまいますよ。私はこの姿のままで幸せです」と言うのです。
それでも男は、「もう、充分稼いだから大丈夫だ」と言って調べ続けたのです。
それからあっという間に2年が経ちました。男は医者に見せたり、本を買いあさったりしたがダメでした。
そしてとうとう茶釜に化けていたことでタヌキの体に限界がきてしまいました。
分福茶釜は熱を出してしまったのです。
男は必死に看病をしました。
看病をしてもらいながらタヌキは本当に幸せだと感じました。
そして男に「今が幸せです」と伝えるのでした。
私達は、成功をすると喜びます。
喜ぶことは問題ありません。
しかし、喜んだあとが大切です。
もっと、もっと と満足しているはずなのに、必要以上に成功を求めてしまいがちです。
そして、そのことによって自らを苦しめていることに気がつかずに、どんどん苦しんでしまいがちです。
普段の坐禅会でもお唱えする白隠禅師坐禅和讃の最後の部分に
「当処即ち蓮華国、この身即ち仏なり」
とあります。「当処」は「今、ここ」、「蓮華国」とは「極楽」、現在で言えば天国です。つまり、今現在の自分が置かれている場所が、自分にとって素晴らしい場所だと、心の底から思うことができたら、人生は幸せだと教えてくれています。
元の姿に戻ることができなくなり、それが原因で病気になる
とんでもなく辛い人生だと感じます。しかし、分福茶釜は「今が幸せ」と言うのです。
様々な苦悩の末に今・ここが 素晴らしい場所なのだとはっきり自覚した姿がここにあるのです。
ここに分福茶釜の尊い姿を感じます。
今すぐに、分福茶釜のような心になりなさい!
と言われてもなれるものではありません。
しかし、このような尊い姿があることを知ることはとても大切です。
そして、白隠禅師坐禅和讃の一番最初に「衆生本来仏なり」と誰もが分福茶釜のような尊い心があると言っています。
そのことをはっきり自覚するのが修行、坐禅です。
自分自身が分福茶釜のようになれること、そして周囲の人にも同じように尊い心があると信じて坐禅を続けていきましょう。

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