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昔話に学ぶ 分福茶釜 その5 布施・床座施(しょうざせ)

この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。

※東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)についてはこちらをご覧ください。
※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。




昔話に学ぶ 分福茶釜 その5 布施・床座施(しょうざせ)

600【昔話】72分福茶釜2




分福茶釜シリーズ その5です。


「人は追い詰められたときに本当の姿が出る」


と言われています。



普段は、とっても優しそうにしているのに、いざとなったら周りの人を助けることなく、自分だけが良い思いをしようとする人もいます。

それで良いのでしょうか?

もちろん、良くありません。

そして、私達にはそうではない尊い一面を持っていることを分福茶釜という昔話は教えてくれています。




前回までで、くず屋の男が茶釜に化けたタヌキと出会う部分まで紹介をしました。


今回はその続きです。


茶釜に化けたタヌキ、分福茶釜と出会った男は話しを聞くことにしました。


分福茶釜は人に追いかけられて茶釜に化けたこと。


恐怖のあまり元の姿に戻れなくなってしまったことを話します。


そして、そのせいで茶釜のまま、あちらこちらに売られてしまったと言うのです。


そして、できればこのままここで暮らしたいとお願いするのでした。


しかし、男は「俺は貧乏だから」と断ります。


それでもタヌキはお願いするのです。


男はタヌキに同情してたっぷりのご飯を食べさせ、そこで寝てもいいよと伝えます。


このような場面があります。





この場面で大切なのは 


男が貧乏であること。そして、貧乏にも関わらず、たっぷりのご飯と寝る場所を分福茶釜に提供することです。


お金持ちが、タヌキにご飯を食べさせるのではありません。


貧乏な男が、自分のために用意したごちそうをタヌキにあげてしまうのです。


今の時代ですと、お金とご飯は別のものです。



しかし、昔は お米=お金 でした。



どういうことかと言いますと、今は税金をお金で払います。消費税だってお金で払います。


しかし、昔は税金は年貢と言ってお米で納めていました。


つまり、お金とお米は同じ価値があるのです。


そして、貧乏な男は茶釜を手に入れるという嬉しいことがあったので、いつもは食べられない豪華なご飯を用意しました。


と言っても魚とご飯です。


すでに魚は分福茶釜が食べてしまっています。残っているのはご飯だけ。貴重なご飯です。


男はこれも分福茶釜にあげてしまいます。これで御膳は空っぽです。


男がすっからかんになったようです。しかし、男はこれでは終わりません。


「寝ていいよ」と言うのです。




お米と言う財産を投げ出した後に、寝る場所を提供しているのです。


仏教の教えに布施【ふせ】というものがあります。


見返りを求めずに、誰かのために施しをすることです。


財産を施す財施【ざいせ】が一般的ですが、財産がなくても行うことができる布施が無財施【むざいせ】です。


その中に、寝る場所や座席を譲(ゆず)ることを意味する、床座施【しょうざせ】と言うものがあります。


男は、財施だけでなく床座施もしているのです。


私達はどうしてもお金を大事にしようとします。もちろん、これは生きていくうえでとっても大切です。


しかし、お金を大切にするあまり、「お金は出したくないから、お金がかからない布施をしよう」というお金への執着をしてしまいます。


しかし、男はまず財施をします。そして、財産が無くなった後も布施行を続けるのです。


これは、本当に素晴らしいことですし、なかなかできるものではありません。


この物語を読んだ私達は、男の姿から大切なことを学ばなければなりません。


それと同時に、昔話の登場人物は自分自身だと気がつかなければいけません。


昔話に登場する悪役も、正義の味方も、大成功する人も、みんな私達の内側にいるのです。


ということは、私達の中にも、この男のように自分のできることを精一杯、誰かのためにすることができる心があるのです。




昔話を読んだときに、登場人物が空想のものであったり、遠くにいる存在だと感じてしまってはもったいないことです。


心の中で憧れるだけだったり、バカにするだけの存在ではなく、素晴らしい部分も、醜い部分も自分の中にあるということに気がついていくことが大切です。


これまでは、空想の世界であり現実とは違うと思ってしまう昔話も、自分のことのように読んでみると、どう生きたらよいかを教えてくれる人生の教科書になるかもしれません。




600仏教豆知識シール 420-431 昔話シリーズ 分福茶釜5
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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