昔話に学ぶ 分福茶釜 その4 一呼吸(間)の大切さ
この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。
※東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)についてはこちらをご覧ください。
※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。
昔話に学ぶ 分福茶釜 その4 一呼吸(間)の大切さ

分福茶釜シリーズ その4です。
東光寺には頂上に観音様を祀った観音山があります。
この山を登っている時に、うっかりするとビックリして声が出てしまう場所があります。
それは、いつ行っても蛇がいる場所です。
私は蛇が苦手です。ですから、蛇に出会ってしまうと声が出てしまいます。
でも、実はここに蛇はいません。竹の根っこが土から出ていて蛇に見えるのです。
落ち着いて見れば竹の根だと分かるのですが、慌てていると蛇に見えて声が出てしまうのです。
そして、驚いて声が出るだけならいいのですが、驚いて坂道でバランスを崩せば転んだりケガをしてしまいます。
では、ケガをしないようにするにはどうしたら良いのでしょうか。
それは、竹の根を竹の根だと分かれば良いのです。
もちろん、知識は大切です。「あそこに竹の根がある」と知っていれば驚きません。
しかし、知っていても慌てていれば、つまり心が乱れていれば、せっかくの知識も役には立ちません。
大切なのは心を調えることです。
今、皆さんと一緒にしている心を調える坐禅がとっても大切なのです。
心を調えて山を登れば、竹が竹に見えるのです。竹が竹に見えれば驚いてバランスを崩してケガをすることがない。
同じように、心を調えて普段の生活をすれば、周囲のものを正しく見て、正しく感じることができます。そうすれば人生のバランスを崩してケガをすることもありません。
そんな、ことを教えてくれている場面が分福茶釜にあります。
前回までで、和尚さんが気味悪がった茶釜をくず屋の男が貰うこと。そして、その茶釜はタヌキが化けたもので、茶釜に化けたタヌキが男の食事を隠れて食べたけど男はみごとに「あきらめた」という場面まで紹介をしました。
今回はその続きです。
ご飯を勝手に食べたのに怒らずに寝ようとする男を見て茶釜に化けたタヌキは男に声をかけました。
「すいません、私が食べました。」
そして、タヌキは茶釜からタヌキの手足・しっぽ・頭を出しました。
しかし、びっくりした男は気絶をしてしまいます。
気絶した男をタヌキは看病しました。
やがて気がついた男にタヌキは魚を食べてしまったことを謝りました。
男はタヌキの話を聞くことにしました。
この場面を見て、
「そんなはずはない!!」
と怒る人はあまりいません。だからこそ、この場面が時代が変わっても伝わっているのです。
「え、何を言っているのか分からない」ですか?
私はこの場面で、気絶した男が目を覚ましたとき、タヌキが看病していることやタヌキが喋っていること、さらにタヌキが茶釜と一体になっているのに、素直に話しを聞くことができているのが素晴らしいと思います。
そして、この場面が、そのまま受け継がれてきたことが素敵だと思います。
タヌキが化けて喋るという、驚くような場面に出会ったとき、初めて見たときには気絶するほど驚いた男が、いったん眠って目を覚ますと、そのことを受け入れているのです。
落ち着けば、現実を受け入れることができる
ということを教えてくれているのです。もちろん「落ち着けば」です。
そして、そのことを昔の人も、現代に生きる人も、同じように感じているか、大切なことを教えてくれていると感じるからこそ、この場面もそのまま受け継がれているのです。
もちろん、何かあったら気絶して心を落ち着かせろと言うことではありません。
坐禅会に参加しているみなさんはすでに、心の落ち着かせ方を知っています。
では、その実践を一緒にしていきましょう。
身体を調え、呼吸を調える。
背中を伸ばして、ゆっくりと息をする。
そうすると自然に心が調っていくことを実感することができます。
それでは、2回目の坐禅を始めましょう。

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