巡教で学んだ 煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)

臨済宗には禅の教えを多くの方に伝えるための「巡教(じゅんきょう)」という制度があります。
また、臨済宗では、禅の教えを伝える僧侶を”布教師(ふきょうし)”と言います。
この布教師の中で研修を受けて各地のお寺に出向くことを本山に命じられる僧侶を”巡教師(じゅんきょうし)”と言います。
毎年、春と秋に本山から巡教師が日本各地の臨済宗のお寺を周って教えを伝える、法話をするのが巡教です。
私も、縁あって巡教師となり、本山から「あなたは〇月〇日~△月△日まで、どこへ行ってきなさい。」と命をいただきます。
その際に、本山から届くのがテーマです。
今年(令和5年)のテーマは
「おかげさま 迷いの中に光を見出す ~煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)~」
です。
そこで、私なりに”煩悩”という言葉と向き合い、資料を読んだりしながら60分~90分の原稿を作りました。
そして、出発前の本山で行われる研修の際に、巡教先で代読をする管長猊下の”ご挨拶”を預かります。
自分の原稿と管長猊下の”ご挨拶”を持参し法話をさせていただきのですが、この”ご挨拶”があまりにも見事で、毎回代読をする際に緊張をします。
それは内容がとても分かりやすく、しかも説得力があるためです。
ですから、法話の前に”ご挨拶”を代読するたびに
「本当に私の法話が必要なのだろうか。このご挨拶を何度も代読した方が良いのではないか」
と感じてしまいます。
もちろん、せっかくいただいた大切な御縁を無駄にしないよう、精一杯法話はさせていただきます。
法話の内容も後々このブログで紹介をさせていただきますが、今回の記事では管長猊下の”ご挨拶”の一部を紹介させていだきます。
本年度の花園会活動の推進テーマは「おかげさま 迷いの中に光を見出す ~煩悩無尽誓願断~」 となっております。
新型コロナウイルスの流行が始まって、早や三年。幾度となく押し寄せる感染の波に翻弄される日常が続いてまいりました。
世界に目を転じれば、自然災害や争いごとが絶え間なく起きています。
平穏な日常を願ってやみませんが、思い通りにならないのが世の常であり人生だと痛感いたしております。
この思い通りにならないことを思い通りにしようというところに煩悩が生じます。 思い通りにならないから、迷いの暗闇へと落ち込むのです。
『四弘誓願文』の第二句にあるのが「煩悩無尽誓願断」であります。これは、尽きることのない煩悩を断ち切り、迷いの中に光を見出そう、という誓願です。
人間である限り、煩悩を無くすことはできません。
断ち切っても尽きることなく湧いてくるのが煩悩であります。
しかしご安心ください。
私たちには、生まれながらにして仏心という光が具わっています。
この光を頼りに人生を歩めば、煩悩はあっても暗闇に迷うことはありません。
思い通りにならない出来事さえも「おかげさま」と受けとめることができるはずです。
「おかげさま」の心を胸に、幸せな人生を歩めますよう、ともに精進してまいりましょう。
皆様方のご健勝を心より祈念して、ご挨拶とさせていただきます。
「煩悩」とは何か。
そして、その「煩悩」にどのように対応したらよいのかを明確に伝えてくださっています。
思い通りにならないことを思い通りにしようというところに煩悩が生じる。
人間である限り、煩悩を無くすことはできません。
私たちには、生まれながらにして仏心という光が具わっています。この光を頼りに人生を歩めば、煩悩はあっても暗闇に迷うことはありません。
思い通りにならない出来事さえも「おかげさま」と受けとめることができるはずです。
とおっしゃってくださっているのです。
私達は生まれながらにこのような素晴らしい心を持っているとおっしゃるのです。
もちろん、何もしなければ その心を見失ってしまうことがあります。
そうならないように、または、見失ったとしても、しっかりとその心を見出せるように私自身も努力を続けていきたいと感じています。
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