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ラジオ マリンパル 禅なはなし 【令和5年3月の原稿】

毎月1回ラジオに出演させていただいています。




600マリンパル


マリンパル

エフエムしみず・マリンパルで放送されている「マリンパルほっとライン」というお昼の番組です。
※マリンパルのホームページはこちらです。
※マリンパルほっとラインの紹介はこちらです。


ここでは毎週月曜日に「禅なはなし」と題して”禅”にまつわる放送があります。私も1ヶ月に1回登場をさせていただいています。


私は日常の中で使われている仏教の言葉をテーマに話をさせていただいています。

原稿もなしにしゃべることができる能力がないので、毎回原稿を作成し放送に臨んでいます。

・・・でも、原稿より放送の方が間違いなく面白くなります。

それは、パーソナリティの山下ともちさんが見事にいろいろなことを引き出してくれるからです!!


以下の文章は、パーソナリティの方との掛け合いがない原稿です・・・


ラジオを聞いてくださった方は、違いを楽しんでみてください!


ラジオを聞いていない方は、インターネットでも聞くことができますので、次回以降はラジオでお楽しみください。




※4,000字ほどありますので、時間と心にゆとりのある方だけがご覧ください





マリンパル禅なはなし2023年3月
「ありがとう」 ~いま 生命あるは 有難し~




最近、年齢を重ねるごとに涙もろくなってきたように感じます。


以前から映画は好きでしたが、涙を流すことはめったにありませんでした。


しかし、最近はちょっとした場面で涙が出てくるようになり自分でも驚いています。




先日も、あるTwitterを読んで涙が出ました。Twitterは基本的に140文字以内の短文の投稿です。

そんな短文でも涙が出てくる自分に大変驚きました。

同時に、そのTwitterの文章を読んだときに仏教の言葉が語源となっている「ありがとう」という言葉が思い浮かびました。

そこで、今月は「ありがとう」という言葉を紹介させていただきます。




お釈迦様の教えを文字にしたものをお経と言いますが、そのお経の中に法句経(ほっくきょう)というものがあります。


その中に

ひとの生を うくるはかたく やがて死すべきものの いま生命(いのち)あるは 有難し

という言葉があります。


この「有難し」が「ありがとう」の語源と言われています。私達が生命をいただくことは、とてつもなく稀なことであることを「有ることが難しい」、「有難し」と表現されたのです。


どのくらい難しいかもお経では様々な言葉で表現しています。




臨済宗妙心寺派の宗門安心章というお経では

「万劫(まんごう)にも受けがたきは人身」

と始まります。


劫(ごう)とは時間の単位のことです。


とてつもなく大きい岩を柔らかい布でこすっていくと少しずつですが岩は削れていきます。


そして、その岩がなくなるまでの時間が「1劫」です。それが1万回で万劫なのです。


万劫と言う、とてつもなく長い時間をかけて、やっと出会えるのが 今・ここにいる自分の生命なのだと言うのです。そのくらい生命は有難いと説くのです。





この有難しが、受けた恩に対する御礼の言葉である「ありがとう」になったと言われています。




今回、この「ありがとう」という言葉を紹介したいと思ったのが、先ほど紹介したTwitterに投稿された、ある短文なのです。


投稿・つぶやいたのは、石川なつみさんという、カナダに住む女性です。その投稿とは



生まれました! 
まさかのUber車内で出産です🚗
病院に向かうためUberに乗った瞬間頭が出てきて、救急車呼ぶも間に合わず誕生。
陣痛は3回でした。
朦朧とする中「運転手さんに迷惑かけてしまった」と申し訳なく思ったのですが、
逆に奥さんに電話かける喜びっぷりで感謝😭✨
お陰様で母子共に健康です!





と言うものです。


「Uber」は、アメリカで誕生した配車サービスです。タクシー会社に勤めていなくてもサービスに登録すれば、誰でも自分の車をタクシー代わりにしてドライバーとして働くことができるものです。


つまり、運転手さんは自分の車に妊婦さんを乗せて病院へ向かっていたら、お客さんが出産をしたことになるのです。その運転手さんが


「奥さんに電話かける喜びっぷり」


なのです。


この部分を読んだときに、その状況を想像して涙が出ました。


「運転手さんに迷惑かけてしまった」という気持ちも分かります。朦朧とする意識の中でも私達は「迷惑をかけてしまう」と考えるものです。


しかし、この運転手さんは喜んだのです。車のこと、仕事のこと、様々なことが頭に浮かんだかもしれません。しかし、それよりも新し
いいのちの誕生に立ち会えたことを喜んだのです。




先ほども紹介したお釈迦様の教えである法句経の

ひとの生を うくるはかたく やがて死すべきものの いま生命あるはありがたし

は、仏教の根幹ともいえる教えだと私は感じています。


先ほどの運転手さんは赤の他人と言ってもおかしくないお客さんの出産を心から喜ぶことができた。これは運転手さん自身が様々な経験を通して「いま 生命あるは ありがたし」を体感しているからこそできた姿だと思います。“ただ喜ぶ”その姿が、周囲の人に安心を与え、「いま 生命あるは ありがたし」を教えてくれているように感じます。



それと同時に、私は自分の子供が生まれたときのことを思い出しました。


私が初めて子供の出産に立ち会ったのは14年前。当時の私は中学校の教員をしていました。教員5年目ということで様々な仕事を任されて、忙しい中にもやりがいを感じている頃でした。


そんなときに、妻の妊娠が判明し、とても喜んだことを覚えています。当時は、妻の実家から車で15分程の場所で私達夫婦は生活しておりました。

しかし、仕事が忙しい私に気を使って妻は里帰り出産をすることにしました。そして、臨月に入るころから、そして出産後約1ヶ月は実家で過ごすなどお義母さんがかなりのサポートをしてくれました。




そんなこともあって、陣痛がきたり破水したりしたのは妻の実家であり、私はその場にいませんでした。


そして、「生まれそうだから病院へ行く」と連絡を受けたのは早朝でした。当時の私に声をかけることができるなら、きつく叱ってやりたいのですが、連絡を受けたとき私は喜びと同時に


「まさか今日なのか!?今日は修学旅行説明会だぞ・・・」


と思ってしまいました。


そのとき私は3年生の担任をしており、修学旅行の責任者でした。1年以上前から学年の先生方と相談をしながら、京都や大阪に下見に行って、旅行会社と打ち合わせをして準備を進めていました。


そして、その日は午前中に通常通りの授業を行い、午後になったら生徒と保護者300人を前に、中学校生活最大のイベントと言ってもいい修学旅行の説明をする日だったのです。


ですから、私は「午後の説明会が終わったら早退をさせてもらって病院へ行こう」と考えました。


しかし、1時間目の授業が終わって職員室に戻ると学年主任の先生が私を待っていました。そして、


「奥さんが出産するそうじゃないですか。すぐに病院に行きなさい。」


と言うのです。まだ、他の先生に妻の出産のことは言っていなかったので驚いていると、


「奥さんのお母さんが、あなたと連絡が取れなくて学校に電話をくれたんだよ」


と言うのです。お義母さんは私の携帯電話に電話をくれていたのですが、授業中は電話を見ることはできません。お義母さんはあまりに連絡がつかないので心配になって職場に電話をくれたのです。


しかし、私は修学旅行の責任者でしたし、パワーポイントや説明会の原稿は自分が持っているので


「説明会が終わったら、早退させていただきます。」


と言うと、学年主任の先生は


「いますぐ、病院に行きなさい。自分の子供を大切にできない人が、他人の子供を大切にできないよ。説明は私がやっておくから。」


と言うのです。


今、考えても当時の私は本当にバカなので、この言葉を聞いても、あまり納得はしていませんでした。しかし、普段は温厚な学年主任の迫力ある言葉に押されて病院へ向かいました。


病院へ着くと、妻はまだ出産しておらず比較的落ち着いていました。それでも陣痛の間隔は短くなっており、陣痛が来るたびに、これまで見たことが無いような表情で妻が苦しむ姿に驚きました。


それと同時に、背中を押したり声をかけたりするくらいしかできない自分にもどかしさも感じました。


部屋の中で何もできず、ただ存在するだけの私をよそに、まさに一生懸命な妻と、落ち着いて対処してくださる病院関係者のおかげでお昼前に子供が生まれました。その壮絶な現場を目の当たりにした私は、自分自身は何もしていないくせに涙を止めることができませんでした。


そこに一つの生命が誕生することの奇跡を目の当たりすることで、生命の尊さを実感すると同時に学年主任の


「自分の子供を大切にできない人が、他人の子供を大切にできないよ。」


という言葉の意味を知ることができました。当時の私は知識として「いのちは大切なもの」ということは知っていました。しかし、実体験をしていなかったのです。


本当に大切なものを知ることで、周囲にもそれと同じくらい大切なものがあることに気がついたのです。まさに、


ひとの生を うくるはかたく やがて死すべきものの いま生命あるはありがたし


の実体験でした。


私は自分の子供の誕生で、「ありがたい・ありがとう」を実感することができました。


しかし、「ありがとう」を体感するのは子供の誕生だけではありません。


自分自身の心が調っていれば、野に咲く花を見てハッとすることもあり、つまずいて転んだ瞬間に気がつくこともあります。


じつは法句経の中にそのヒントがあります。




ひとの生を うくるはかたく やがて死すべきものの いま生命あるはありがたし


には、続きがあります


正法を 耳にするはかたく 諸仏の 世に出づるも ありがたし (『法句経』182)


です。



正しい教えを耳にすることも 仏様が世にでてくることも 大変まれなことで、ありがたいことだと言うのです。


しかし、同時に禅では「衆生本来仏なり」誰もが仏だとも説いています。


1日1度は静かに坐って身体と呼吸と心を調えることで、人間の尊さ、つまり人間の中にある仏の心に気がつくと説いています。


私達は様々なときに、自信が仏だと実感することができる存在なのです。


それが「諸仏の出現」です。


その「諸仏の出現」の前に「正法を耳にする」のです。


仏教の教えに出会い、実践をすることで、自分が仏だと感じる。


自分が仏だと感じれば、他人も仏だと実感できる。


他人だけでなく、全てのものが仏だと実感できると禅は説いています。



そのことに気がつくことが、「いま生命あるはありがたし」の実感なのです。



特別な体験で気がつくこともあります。しかし、なんと言っても日常の中で、静かに心を調え、調えた心で周囲を見ていくことが何よりも大切です。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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