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生命の尊さを実感する 「自分の子供を大切にできない人が、他人の子供を大切にできない」

先日のブログで、タクシーで出産した方の話を読んで涙を流した話を紹介しました。
※記事はこちらです。




その記事(タクシーで出産した際に、運転手が喜んだ)を読んだときに、自分の子供の子供が生まれたときのことを思い出しました。


500赤ちゃんを抱くお釈迦様


私が初めて子供の出産に立ち会ったのは14年前。


当時の私は中学校の教員をしていました。教員5年目ということで様々な仕事を任されて、忙しい中にもやりがいを感じている頃でした。



そんなときに、妻の妊娠が判明し、とても喜んだことを覚えています。



当時は妻の実家が車から15分程の場所で生活しており、臨月に入るころから、そして出産後約1ヶ月は実家で過ごすなどお義母さんがかなりのサポートをしてくれました。


そんなこともあって、陣痛がきたり破水したりしたのは妻の実家であり、私はその場にいませんでした。


そして、「生まれそうだから病院へ行く」と連絡を受けたのは早朝でした。


当時の私に声をかけることができるなら、きつく叱ってやりたいのですが、連絡を受けたとき私は喜びと同時に


「まさか今日なのか!?今日は修学旅行説明会だぞ・・・」


と思ってしまいました。


そのとき私は3年生の担任をしており、修学旅行の責任者でした。1年以上前から学年の先生方と相談をしながら、京都や大阪に下見に行って、旅行会社と打ち合わせをして準備を進めていました。


そして、その日は午前中に通常通りの授業を行い、午後になったら生徒と保護者300人を前に、中学校生活最大のイベントと言ってもいい修学旅行の説明をする日だったのです。


ですから、私は「午後の説明会が終わったら早退をさせてもらって病院へ行こう」と考えました。


しかし、1時間目の授業が終わって職員室に戻ると学年主任の先生が私を待っていました。そして、


「奥さんが出産するそうじゃないですか。横山さん、すぐに病院に行きなさい。」


と言うのです。まだ、他の先生に妻の出産のことは言っていなかったので驚いていると、


「奥さんのお母さんが、あなたと連絡が取れなくて学校に電話をくれたんだよ」


と言うのです。お義母さんは私の携帯電話に電話をくれていたのですが、授業中は電話を見ることはできません。お義母さんはあまりに連絡がつかないので心配になって職場に電話をくれたのです。


しかし、私は修学旅行の責任者でしたし、パワーポイントや説明会の原稿は自分が持っているので


「説明会が終わったら、早退させていただきます。」


と言うと、学年主任の先生は



「いますぐ、病院に行きなさい。自分の子供を大切にできない人が、他人の子供を大切にできないよ。説明は私がやっておくから。」



と言うのです。


今、考えても当時の私は本当にバカなので、この言葉を聞いても、あまり納得はしていませんでした。


しかし、普段は温厚な学年主任の迫力に押されて病院へ向かいました。


病院へ着くと、妻はまだ出産しておらず比較的落ち着いていました。それでも陣痛の間隔は短くなっており、陣痛が来るたびに、これまで見たことが無いような表情で妻が苦しむ姿に驚きました。


それと、同時に、背中を押したり声をかけたりするくらいしかできない自分にもどかしさも感じました。


部屋の中で何もできず、ただ存在するだけの私をよそに、まさに一生懸命な妻と、落ち着いて対処してくださる病院関係者のおかげでお昼前に子供が生まれました。


その壮絶な現場を目の当たりにした私は、自分自身は何もしていないくせに涙を止めることできませんでした。


そこに一つの生命が誕生することの奇跡を目の当たりすることで、生命の尊さを実感すると同時に学年主任の


「自分の子供を大切にできない人が、他人の子供を大切にできないよ。」


という言葉の意味を知ることができました。当時の私は知識として「いのちは大切なもの」ということは知っていました。しかし、実体験をしていなかったのです。


本当に大切なものを知ることで、周囲にもそれと同じくらい大切なものあったことに気がついたのです。



先日の記事でも紹介した



お釈迦様の教えをまとめた法句経の中に


ひとの生を うくるはかたく やがて死すべきものの いま生命あるはありがたし


という有名な言葉があります。



「ありがとう」の語源とも言われる言葉です。


この世界は「ありがとう」に包まれている。そのことをしっかりと自覚することがどれだけ大切かを教えてくれる言葉です。


私は自分の子供の誕生で、「ありがたい・ありがとう」を実感することができました。しかし、「ありがとう」を体感するのは子供の誕生だけではありません。


自分自身の心が調っていれば、野に咲く花を見てハッとすることもあり、つまずいて転んだ瞬間に気がつくこともあります。


じつは法句経の中にそのヒントがあります。



ひとの生を うくるはかたく やがて死すべきものの いま生命あるはありがたし


には、続きがあります


正法を 耳にするはかたく 諸仏の 世に出づるも ありがたし (『法句経』182)


です。



正しい教えを耳にすることも 仏様が世にでてくることも 大変まれなことで、ありがたいことだと言うのです。


しかし、同時に仏教では「衆生本来仏なり」誰もが仏だとも説いています。


1日1度は静かに坐って身体と呼吸と心を調えることで、人間の尊さ、つまり人間の中にある仏の心に気がつくと説いています。


私達は様々なときに、自信が仏だと実感することができる存在なのです。


それが「諸仏の出現」であり、その前に正法を耳にしているのです。


そのことに気がつくことが、「いま生命あるはありがたし」の実感なのです。



特別な体験で気がつくこともあります。しかし、なんと言っても日常の中で、静かに心を調えることが大切なのです。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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