観音様に出会う その2
先日の記事で「観音様に出会う その1」と題して記事を書きました。
※記事はこちらです。
今回も私自身が出会った観音様を御紹介させていただきます。
『観音様は何色ですか』

ある日、東光寺に水子供養のお参りに来られた夫婦がいました。
この夫婦には小学校に入る前の子供がいました。
東光寺の水子供養では、まず観音様の功徳について説かれた短いお経(延命十句観音経)を写経していただきます。
写経が終わると、本堂内での読経・供養、そして境内の水子地蔵尊の前での読経・供養とお進みいただきます。
小学生以上になれば、文字も書くことができますので一緒に写経をしてもらうこともできるのですが、今回はそういうわけにはいきません。
そこで私は、ご夫婦が写経をする時間、子供が飽きないようにと、観音様が描かれた白い紙と色鉛筆がたくさん入った筆箱を渡しました。
夫婦の写経が終わるまで、色塗りをしてもらおうと考えたのです。
すると、それを見た女性が子供に好きな色を聞ききました。
子供は「赤」と答えました。
女性は赤の色鉛筆を子供に渡しました。
そして、
「お父さんは緑色、お母さんは青色が好き。だからこれからお別れをする○○ちゃんのために、みんなが大切に思っている赤色、緑色、青色を使って観音様を塗ってください。」
と言いました。
子供は元気よく返事をして、両親が写経を終えるまで一生懸命の観音様に渡された色鉛筆で色を塗りました。
完成した、仏師が描く色鮮やかな観音様ではありません。
しかし、大切な想いが込められた観音様を目にしたとき、この観音様が亡くなれたら幼い子をしっかりと導いてくれると私は感じました。
「みんなの優しい心を集めると 観音様になるんだよ」
という言葉があります。
今回、白い紙に黒く印刷された観音様に、色を塗っていくことで観音様が完成をしました。
まさに、「みんなの優しい心を集めると 観音様になるんだよ」です。
赤、緑、青という「みんなの優しい心」が黒い線に導かれて観音様になった瞬間だったように感じます。
こうして完成した観音様を目にしたとき、
「やっぱり観音様は、どこか遠くにいるのではなく、私達の心の中にいてくれる」
と感じました。
私達は観音様という存在を知識として知っています。
これは、黒い線で印刷された観音様。
印刷された線に心を込めていくことで印刷物の観音様が本物の観音になっていく。
私達の知識として知っている観音様も、私達自身が心を込めて、誰かのために何かをすることができたとき、本物の観音様になっていく。
そのように感じたできごとでした。
※記事はこちらです。
今回も私自身が出会った観音様を御紹介させていただきます。
『観音様は何色ですか』

ある日、東光寺に水子供養のお参りに来られた夫婦がいました。
この夫婦には小学校に入る前の子供がいました。
東光寺の水子供養では、まず観音様の功徳について説かれた短いお経(延命十句観音経)を写経していただきます。
写経が終わると、本堂内での読経・供養、そして境内の水子地蔵尊の前での読経・供養とお進みいただきます。
小学生以上になれば、文字も書くことができますので一緒に写経をしてもらうこともできるのですが、今回はそういうわけにはいきません。
そこで私は、ご夫婦が写経をする時間、子供が飽きないようにと、観音様が描かれた白い紙と色鉛筆がたくさん入った筆箱を渡しました。
夫婦の写経が終わるまで、色塗りをしてもらおうと考えたのです。
すると、それを見た女性が子供に好きな色を聞ききました。
子供は「赤」と答えました。
女性は赤の色鉛筆を子供に渡しました。
そして、
「お父さんは緑色、お母さんは青色が好き。だからこれからお別れをする○○ちゃんのために、みんなが大切に思っている赤色、緑色、青色を使って観音様を塗ってください。」
と言いました。
子供は元気よく返事をして、両親が写経を終えるまで一生懸命の観音様に渡された色鉛筆で色を塗りました。
完成した、仏師が描く色鮮やかな観音様ではありません。
しかし、大切な想いが込められた観音様を目にしたとき、この観音様が亡くなれたら幼い子をしっかりと導いてくれると私は感じました。
「みんなの優しい心を集めると 観音様になるんだよ」
という言葉があります。
今回、白い紙に黒く印刷された観音様に、色を塗っていくことで観音様が完成をしました。
まさに、「みんなの優しい心を集めると 観音様になるんだよ」です。
赤、緑、青という「みんなの優しい心」が黒い線に導かれて観音様になった瞬間だったように感じます。
こうして完成した観音様を目にしたとき、
「やっぱり観音様は、どこか遠くにいるのではなく、私達の心の中にいてくれる」
と感じました。
私達は観音様という存在を知識として知っています。
これは、黒い線で印刷された観音様。
印刷された線に心を込めていくことで印刷物の観音様が本物の観音になっていく。
私達の知識として知っている観音様も、私達自身が心を込めて、誰かのために何かをすることができたとき、本物の観音様になっていく。
そのように感じたできごとでした。