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ラジオ マリンパル 禅なはなし 【令和5年2月の原稿】

毎月1回ラジオに出演させていただいています。




600マリンパル


マリンパル

エフエムしみず・マリンパルで放送されている「マリンパルほっとライン」というお昼の番組です。
※マリンパルのホームページはこちらです。
※マリンパルほっとラインの紹介はこちらです。


ここでは毎週月曜日に「禅なはなし」と題して”禅”にまつわる放送があります。私も1ヶ月に1回登場をさせていただいています。


私は日常の中で使われている仏教の言葉をテーマに話をさせていただいています。

原稿もなしにしゃべることができる能力がないので、毎回原稿を作成し放送に臨んでいます。

・・・でも、原稿より放送の方が間違いなく面白くなります。

それは、パーソナリティの山下ともちさんが見事にいろいろなことを引き出してくれるからです!!


以下の文章は、パーソナリティの方との掛け合いがない原稿です・・・


ラジオを聞いてくださった方は、違いを楽しんでみてください!


ラジオを聞いていない方は、インターネットでも聞くことができますので、次回以降はラジオでお楽しみください。


※4,000字ほどありますので、時間と心にゆとりのある方だけがご覧ください





マリンパル禅なはなし2023年2月「涅槃」

~微笑みを感じ取る心~





早いもので驚くことにすでに2月に入っています。つい先日、新年を迎えたと思ったら、すでに1ヶ月以上がたってしまっていて、ただただ過ぎ去る時間の早さに驚いています。


お寺では新年を迎える際に様々な行事があります。それらの行事が一段落して2月を迎えます。そして、2月になると涅槃【ねはん】という言葉をいつも以上に使うようになります。


涅槃というと一般的には誰かが亡くなることを涅槃と言ったりします。


御存じの方が多いかもしれませんが仏教ではお釈迦様が亡くなったことを涅槃と言っています。


そして、お釈迦様が亡くなったのが2月15日と言われていますので、2月15日には多くのお寺で涅槃会【ねはんえ】というお釈迦様の徳に感謝し冥福を祈る法要が行われているのです。


と、言うわけで今月は知っているようで意味を聞かれると困る「涅槃」という言葉を紹介させていただきます。




涅槃会という行事に欠かせないのが涅槃図です。涅槃図とはお釈迦様が亡くなられた際の様子を描いた掛け軸です。

中央に横たわるお釈迦様、その周囲には嘆き悲しむ多くのお弟子様や仏教の教えを守護する者が描かれています。

涅槃図にはこれらの「人々」だけではなく、月・河・樹木、そして多くの種類の動物たちも描かれています。

ここまで多くのものが描かれている掛け軸は他に類を見ません。もちろん、なんとなく描かれているわけではなく、その一つ一つに大切な教えが込められています。

この涅槃図は2月(地方によっては3月)になると多くのお寺で飾られるのでお参りをしたことがある方や見たことがある方も多くいらっしゃるかもしれません。

もし、まだ見たことがない、お参りをしたことがない方がいらっしゃいましたら、ぜひゆっくりと時間をかけてお参りをしながら、涅槃図に込められた教えに触れていただきたいと思っています。




ところで、先ほどから「涅槃」という言葉を「亡くなる」という言葉としてだけ使っていますが、もともとの意味は「お釈迦様が亡くなる」や「亡くなる」という意味ではありません。


実は、お釈迦様がまだ生きていらっしゃるときに、お釈迦様自身が「涅槃」という言葉を使われています。


お釈迦様は自分の跡継ぎを発表した場面で涅槃と言う言葉を使われました。



ある日、お釈迦様が多くの弟子たちの前で説法をしていたときのことです。

お釈迦様は一本の花を手に持って弟子たちに何も言わずに見せたのです。いつもなら、何か大切な教えを話して下さるお釈迦様が何も言わずに、ただ花を見せているのです。弟子たちはそれが何を意味するのか、さっぱりわかりません。

私達で言うならば、学校で威厳のある先生の授業が始まったときに、先生が何もいわずにチョークを一本持ち上げてこっちを見ているようなものです。

こんな状況に置かれたらどうしますか。

私は何もできないと思います。それよりも、「あれ、先生どうかしちゃったのかな!?」などと失礼なことを考えてしまうかもしれません。弟子たちも同じでした。

誰もが無言のままです。ただこのとき、ただ一人だけみんなと違う行動をした人がいたのです。



それが摩訶迦葉【まかかしょう】というお弟子様です。彼だけはニッコリと微笑みました。



その瞬間、お釈迦様はこの摩訶迦葉を後継者にすることを決めたのです。


この際の言葉は長いので少し省略をしますが、お釈迦様は


「私には、涅槃妙心【ねはんみょうしん】という心がある、これを摩訶迦葉に託そう」


とおっしゃったのです。


お釈迦様は、摩訶迦葉が微笑んだ瞬間、言葉を交わすこともなく心が通じ合ったのです。


そして、伝わった心を「涅槃妙心」と表現され、多くの弟子たちの前に後継者を発表したのです。



この逸話から「以心伝心」という言葉が生まれました。そして、大切な教えは文字では伝えきれるものではないという褝の教えを象徴する重要な逸話として今でも大切にされています。




少し、説明が長くなってしまっていますが、お釈迦様から摩訶迦葉に伝わった涅槃妙心【ねはんみょうしん】も説明させてください。


涅槃という言葉はもともと「煩悩の火が吹き消された静かな心」を意味する言葉です。妙心とは妙(たえ)なる心です。

言葉では表現しきれない美しさを「妙なる」と言いますので、涅槃妙心は


「言葉では表現しきれない、煩悩が吹き消された美しい心」となります。


このような素晴らしい心を誰もが持っているとお釈迦様は伝えたかったのです。

そして、そのことに気がついた摩訶迦葉がニッコリと微笑んだのでお釈迦様は彼を後継者に指名したのです。




なぜ、今日「涅槃」という言葉を紹介させていただいているのかと言えば、当然2月の涅槃会があるからです。しかし、それだけではありません。私自身が経験した、「あ、心が伝わるというのはこういうことだったのか」と感じたことがあったからです。


それは、ある女性のお葬式の準備に立ち会ったときのことです。

女性は60代。

生まれたばかりのお孫さんの成長や、間もなく生まれるお孫さんを楽しみにしておられました。

しかし、病魔に侵され亡くなれてしまいました。


ご家族にとって、とても悲しいことですが、同時にお葬式も執り行わなければなりません。

相談の結果、亡くなった翌日に通夜、その次の日に葬儀が行われることになりました。

通夜の前に納棺などがあるために午前中から様々な準備をしているときに葬儀社の方が遺影の写真が完成したと持ってきてくれたのです。

そして、親族が見守る中、葬儀社の方が、女性が生前に長男一家と撮影した家族写真から作った遺影写真を見せてくれました。



そこには、大切な家族に囲まれてにっこりと微笑む女性が映っていました。



その写真を目にしたとき、そこにいる全員が涙を流しました。


全員が、これまでに女性から受け取ったものを瞬間的に思い出し自然と涙を流したのです。


このときの感情を後から言葉で説明しようとすれば、様々な言葉である程度は説明ができるかもしれません。


しかし、あまりにも多くのものを受け取っているからこそ、言葉では説明しきるものではありません。



お釈迦様から多くの教えを受け取り、そして同じ心境に達した摩訶迦葉は、お釈迦様の花を持ち上げるというメッセージに言葉で返すことはしませんでした。

どんな言葉でも説明しきれないからこそ、あえて言葉ではなく、にっこりと微笑むことで自分の心を表現されました。

その心境こそが「煩悩の火が消された心静かな“涅槃”」だったのです。



そして、大切な女性を失った家族にとって、女性が微笑んだ写真は、家族の心にあった「悲しみや苦しみ」と言った様々な感情をその瞬間にスーッと、調える力がありました。

そして、言葉では表現しきれないほどの素晴らしい心をすでにお母さんから受け取っていたことに気がついたからこそ自然と涙がこぼれたのだと私は思っています。




「涅槃」という言葉は誰かが亡くなったことだけを示す言葉ではありません。


悩みや苦しみの原因となる煩悩が吹き消された心の状態を示す言葉です。


その心境は言葉で表現しきることはできません。


しかし、言葉で表現できないと聞くと、私のような未熟者は


「だったら言葉なんていらないじゃん」


と考えてしまいます。しかし、そうではありません、言葉で表現しきれないからと言って、言葉をおろそかにしてはいけません。


伝えきれないけれど、なんとか伝えたい。昔から多くの僧侶がお釈迦様の教え、お釈迦様の心、仏教の教えを言葉で伝えようとしてくれています。

それが禅語です。

その中の1つが「涅槃妙心」なのです。


言葉では表現しきれないことを言葉で表現する。

なんだか矛盾を感じるかもしれませんが、その伝えようとする心を、必死に受け取ろうとする心が以心伝心・涅槃妙心なのです。




先ほど紹介した女性の微笑んだ遺影は、女性が歩んでこられた人生そのものを映していた写真でした。


だからこそ、その遺影を見た人の心がスーッと調い、しっかりと女性が残してくれた大切な心を受け取ることができたのです。


これからの時期に多くのお寺で飾られる涅槃図も同じです。


お釈迦様が伝えようとしてくれた大切な教え、大切な心が表現されています。


ぜひ、お参りする機会がある方はお参りしていただき涅槃の心を実感していただければ嬉しいです。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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