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どんど焼きで感じる「御縁」

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先日行われた東光寺の境内にある保育園でどんど焼きが行われました。

美味しそうにお餅を食べる園児達を見て、改めて「御縁」の力を感じました。



「町内会とか昔からの習慣なんてめんどくさい」


と、いった声が大きくなっている現代だからこそ、どんど焼きで「御縁」を感じることは大切なのかもしれません。




どんど焼きはお餅を食べる園児の笑顔で終わります。

では、このゴールにたどり着くために、どれだけの「御縁」があるのでしょうか。

もちろん、全ての「御縁」を書き出すことはできません。

しかし、目に見える「御縁」だけを数えてみても、それは非常に多くあることに気がつきます。




例えば、お餅。

みんなで美味しくいただいたお餅は、お正月にお供えされたお餅です。

しかし、園児の自宅で飾られたものではありません。

東光寺の位牌堂に、檀信徒の皆様がご先祖様のためにお供えしたものです。

自宅でついたお餅を持ってこられる方もいらっしゃいますが、誰かに依頼して作ってもらった鏡餅をお供えする方もいます。



つまり、園児達が食べたお餅は、普段関りが無いように思っている人が用意しているのです。


さらに・・・


このお餅は真空パックされたお餅ではありません。

お正月前からむき出しで飾られていたものですので、そのままでは食べられません。

水に漬けておかなければなりません。

誰がやっているのでしょう。

保育園の給食の先生(調理員さん)でしょうか。実は違います。お寺の行事の片づけを手伝ってくれる方が水に漬けて柔らかくしてくれます。

それを給食の先生が切り分けてくれます。




では、お餅を焼くお飾りは誰が用意しているのでしょうか。

園児のお家で飾られて正月飾りもありますが、ほとんどは地域の方が持ち寄ってくださったものです。

残念ながらお飾りだけではお餅は焼けません。

木材などで火力を維持しなくてはいけません。保育園のどんど焼きでは東光寺の山から切り出された竹や境内の木を剪定した際に出たものを使います。

これらの竹や木を切ったのは保護者ではありません。地域の方や植木屋さんといった園児と直接関わらない方々です。





どんど焼きをするための金属製の枠もなくてはならないものです。

これは園児が用意したのでしょうか。もちろん違います。運んだり設営したりしたのは保育園の職員ですが、金属製の枠がいつから存在して、誰が作ったのかを知る人はいません。




誰が作ったか分からない枠に、

誰が切ったか分からない竹や木を入れて、

誰が作って飾ったか分からない正月飾りで火をつけて、

誰がお供えしたか分からないお餅を焼く


そして、それをおいしくいただく。




これがどんど焼きです。


「御縁」はこれだけではありません。

数え始めたらきりがありません。

この「御縁」を知らないまま 美味しくお餅を食べています。




もちろん、美味しくいただくことは大切です。

しかし、その「御縁」を知ること、感じることも大切です。




もし、「御縁」を知って感じることができたら何か良いことがあるのでしょうか。

その答えは、臨済宗妙心寺派の生活信条の最後に書いてあります。


生かされている自分に感謝し、報恩の行を積みましょう。


「御縁」を知って感じることは、生かされていることを実感することです。

そのことを実感できたとき、人は自然と感謝の気持ちを持ちます。

感謝の気持ちを持ったとき、自然と恩に報いる生き方をします。


これが、「生かされている自分に感謝し、報恩の行を積みましょう。」です。



生活信条は私達が、みんなで幸せに生きていくための心を説いています。

つまり、生活信条の実践は、みんなが幸せに生きていくための実践なのです。

その第一歩が「御縁」を感じることなのかもしれないと、にっこりと微笑みながらお餅を食べる園児達を見ながら感じていました。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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