微笑みと坐禅

オンライン坐禅会を始めたときに妻に指摘されたことがあります。
それは、「あなた、顔が怖い」でした。
別に、怒っているわけではありません。
いわゆる”真顔”になっているのです。
「あなたは、ただでさえ顔が濃いんだから、真顔になると怖い。笑顔を意識した方がいいよ!」
と言うのです。そう言われてからオンライン坐禅会中に自分の顔をモニターで確認すると・・・
確かに怖い顔をしていました。それ以来、”微笑み”を意識するようになりました。
円覚寺派管長 横田南嶺老師 がインタビューの中でこのように話されていました。
禅の教えの肝心なところは、人間は誰しも生まれながらに仏様の心を持っている」ということです。
けれど、それが「自分さえよければ」という思いで見えなくなっているだけなのです。
相手を慈しみ思いやる仏様の心を、私たちが最も簡単に実践できるのが「ほほえみ」です。もちろん、看病してあげるとか食べ物を食べさせてあげるとか、思いやりにもいろいろなことがあります。その中でも、ほほえみはいつでもどこでも誰にでもできることです。たとえ寝たきりになっても病床にいても、ほほえむことはできるわけです。
花を見てほほえむ、それだけではない。鳥の声を聞いてほほえむ、それだけではない。苦しいときもつらいときもほほえむ。暗い世の中であればあるほど、ほほえんで生きていく。私もそんな生き方をしたいなと思って、日々努力しているところでございます。
私は、この文章を読んだときに
微笑みと坐禅は同じことだと感じました。
微笑むことは、いつでも、どこでも、誰にでもできることです。
坐禅も同じです。いつでも、どこでも、誰にでもでもできます。
さらに、老師の言葉にもあるように、
苦しいときもつらいときもほほえむ。暗い世の中であればあるほど、ほほえんで生きていく。
ことが私達にはできます。
坐禅も同じです。
苦しいとき座ることができる。世の中が暗くても坐禅をすることができます。
さらに、さらに、老師の言葉に
私もそんな生き方をしたいなと思って、日々努力しているところでございます。
とあります。
坐禅も同じです。日々努力です。
そして、微笑みを意識して坐禅をするようになると、少しずつ違和感なく笑えるようになってきます。
※私だけが違和感を覚えていないだけで、他の人から見たら笑顔が足りないかもしれませんが・・・
微笑みと坐禅
これからも意識して取り組み、意識しなくても自然とできるようになりたいと願っています。