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オンライン坐禅会 法話 無位の真人

私は記憶をするという行為が得意ではありません。

うれしいこと、悲しいこと、いろいろなことを忘れてしまいます・・・・




毎月23日に東光寺では写経会を行っています。


その写経会では、自作の絵葉書を配布しています。


絵葉書を作り始めて間もなく8年になります。


この絵葉書もその中の1枚です。





写経会 絵葉書 7 一無位真人



しかし・・・・

この絵葉書を作ったときに、「なぜこの写真を使ったのか」などの記録は残っていません。


そして、私の記憶にも残っていません・・・ 




だからこそ、この絵葉書と向き合っていきたいと思います。


絵葉書には


一無位真人


と書いてあります。「いち むいの しんにん」と読みます。


「一」を省略して

「無位の真人」【むいのしんにん】とも言います。


臨済宗の最初の和尚様である臨済禅師の教えをまとめた臨済録に出てくる言葉であり、臨済録の中でも、とても大切にされている部分です。



赤肉団上に(しゃくにくだんじょう に)

無位の真人有り(むいの しんにん あり)

常に汝等諸人の(つねに なんじら しょにんの)

面門より出入す(めんもんより しゅつにゅうす)



このように記されています。


赤肉団とは赤い血が流れるこの体です。

真人とは仏様のような尊い心とも表現されるものです。


「赤肉団上に無位の真人有り」


つまり、私達の体には無位の真人があると言っているのです。


無位ですから位がない、階級などないのです。社長でもなければ社員でもない。男や女といった区別もない。年寄りだとか子供といったこともなく、経験が豊かだとか初心者だとか、学歴があるとかないとか、裕福な家庭で育ったか貧乏な家庭で育ったかでもなく、金を持っているか持っていない、ありとあらゆく区別を離れた無位の真人が誰の中にもいるのです。



忘れてはいけないのが無位の「無」が何をいみするのかです。



私達は「無」というと「有るか無いか」の「無い」と考えてしまいます。


ですから、無位というと位そのものを否定したくなるのですが、そういった意味だけではありません。


この「無」は「無い」だけではありません。


決まったものや決まった場所が無いのであり、真人という尊い心は「どこにでもある」ことを示しているのです。




そして、さらに「常に汝等諸人の面門より出入す。」と続くのです。


この真人は私達の体から自由に出たり入ったりしているのです。飛び出して虫の中に入ることもあれば山に入ることもあるのです。


そして、再び私達の中にも入ってくると説かれているのです。




つまり、自分だけが仏のような心を持つのではなく、今、目の前にいる人・生き物・自然・物、全てに仏のような心が出入りし、全ては一体なのだと説かれているのです。




では、なぜ過去の私は、この写真に一無位真人という禅語を加えたのでしょうか。


記録も記憶もありませんので、ここからは私の想像です。




写真は清水区内にある水族館で私が撮影したものです。


その美しい水槽を見たときに、水槽の中に海があると私は感じました。


水槽の中には様々な魚だけでなく、サンゴや大小さまざまな石がありました。


そして、それらが全て集まって一つの世界を作り出しています。


水槽の中には海水が入っています。では、魚たちはどこを泳いでいると思っているのでしょうか。


海でしょうか?


水槽でしょうか?


サンゴは自分がどこにいると思っているのでしょうか?


海でしょうか?


水槽でしょうか?


大きな石は?小さな石は?


魚もサンゴも石も、そんなことは気にしていないと思います。


今、ここに存在するから魚は泳ぎ、サンゴは呼吸をして生きている。


石も、海であろうが、小さな水槽の中であろうが、そんなことは関係ありません。ただ、そこにいます。



ただ、そこにある。


水槽の中の魚は、外にいるのが人間で、その人間に「魚」と呼ばれていることなど何も気にしていません。


しかし、そこには美しい世界が確かにあるのです。



この美しい世界は水槽の中のだけではありません。




今、私達が生きていいる世界も、まったく同じです。全てのものが、それぞれに、その瞬間を生きている。それが真人である。


だから世界は美しい。


そのことを臨済禅師は「一無位の真人」と教えてくれている。


そんな、思いでこの写真を使ったと思います。




一無位の真人


肩書など、全ての区別を取り払ったところに、尊い世界・尊い心があることを教えてくれている言葉です。


その、肩書を取り除くことができるのは自分自身しかいないことも忘れてはいけません。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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