オンライン坐禅会 法話 【眼横鼻直】
大雨による床上浸水を経験した直後に「雨」という言葉に敏感になっていたように感じます。
床上浸水の片付けが終わりかけていた頃に、葬儀が会館で行われました。
その日はどんよりとした雲が広がる空模様でした。
雨が降りそうだったので傘を持っていきましたが、葬儀終了まで雨が降ることはありませんでした。
葬儀が終わって車に向かっていると、参列者の方の話し声が聞こえてきました。
そんな声が聞こえてきました。よく聞く言葉です。そして、私もよく使っていました。
しかし、この日はこの言葉にトゲを感じました。
「雨が降らなかったのが日ごろの行いが良いためだとしたら、大雨が降り床上浸水までした私はそうとう日ごろの行いが悪いことになる。ましてや床上浸水なんて相当悪行を重ねたのだろうか・・・」
そんなことを感じてしまったのです。
もちろんそんなことはありません。多くの人が住む地域に大雨が降り、多くの家が浸水被害にあったのです。
道路一本の違いで浸水を免れた家もありまます。
浸水した家の人は普段の行いが悪かったのでしょうか。反対に浸水した家の人は全員が悪者なのでしょうか。
そんなはずはありません。
禅の言葉に
眼横鼻直【がんのうびちょく】
という言葉があります。
道元禅師の有名な言葉なので御存じの方が多くいらっしゃるかと思います。
直訳をすれば
眼は横に並び、鼻は縦にまっすぐついている。
となります。
禅的にとらえるならば、
何も手を加えない、自然ありのままの姿に万物が安住している様子。
とも表現ができます。
ありのままの尊さを示す言葉です。
このことを河野太通老大師は著書の中でこのように説かれています。
雨が降ったら「あ、雨だ」
と受け取る心が仏の心なのです。”私の行い”など関係ないのです。
余分なことにとらわれてはいけないのです。
素直に受け取るということは、子供にはできるけれど大人はできないときが多くあります。
いろいろな経験をするからこそ、大人は考えてします。
でも、大人は”考えてしまう”ことをやめる方法も知っています。
それが坐禅です。
身体を調え、呼吸を調えることで、心が調っていく。
呼吸に集中するときに、頭に思い浮かんだことを追いかけない。
これが眼横鼻直への第一歩なのです。
晴れたら、「あ、晴れた」
曇ったら「あ、曇った」
雨なら「あ、雨」
ただそれだけ。
そう感じることができれば、浸水しても
「あ、水が入ってきた」
だけです。
当たり前の世界を素直にそのまま受けとれる心を私達は持っています。
そのことを、目を見たとき、鼻を見たときに感じていただければ幸いです。
床上浸水の片付けが終わりかけていた頃に、葬儀が会館で行われました。
その日はどんよりとした雲が広がる空模様でした。
雨が降りそうだったので傘を持っていきましたが、葬儀終了まで雨が降ることはありませんでした。
葬儀が終わって車に向かっていると、参列者の方の話し声が聞こえてきました。
「雨が降らなくて助かったな。やっぱり俺は日ごろの行いが良いからな。」
そんな声が聞こえてきました。よく聞く言葉です。そして、私もよく使っていました。
しかし、この日はこの言葉にトゲを感じました。
「雨が降らなかったのが日ごろの行いが良いためだとしたら、大雨が降り床上浸水までした私はそうとう日ごろの行いが悪いことになる。ましてや床上浸水なんて相当悪行を重ねたのだろうか・・・」
そんなことを感じてしまったのです。
もちろんそんなことはありません。多くの人が住む地域に大雨が降り、多くの家が浸水被害にあったのです。
道路一本の違いで浸水を免れた家もありまます。
浸水した家の人は普段の行いが悪かったのでしょうか。反対に浸水した家の人は全員が悪者なのでしょうか。
そんなはずはありません。
禅の言葉に
眼横鼻直【がんのうびちょく】
という言葉があります。
道元禅師の有名な言葉なので御存じの方が多くいらっしゃるかと思います。
直訳をすれば
眼は横に並び、鼻は縦にまっすぐついている。
となります。
禅的にとらえるならば、
何も手を加えない、自然ありのままの姿に万物が安住している様子。
とも表現ができます。
ありのままの尊さを示す言葉です。
このことを河野太通老大師は著書の中でこのように説かれています。
毎朝おてんと様は東から出て、お月様は西へ沈みなさる。
三年経つといっぺん閏年がくるし。
夜明けには、にわとりが時を告げる。
当たり前です。
当たり前の世界を素直にそのまま受けとれる心が仏法だ。
うちの宗教に入ったら銭が儲かるぞ。病気が治るぞ。出世するぞ。
そういうことを言うて人を迷わしてはいかんというのがお釈迦様の教えです。
雨が降ったら「あ、雨だ」
と受け取る心が仏の心なのです。”私の行い”など関係ないのです。
余分なことにとらわれてはいけないのです。
素直に受け取るということは、子供にはできるけれど大人はできないときが多くあります。
いろいろな経験をするからこそ、大人は考えてします。
でも、大人は”考えてしまう”ことをやめる方法も知っています。
それが坐禅です。
身体を調え、呼吸を調えることで、心が調っていく。
呼吸に集中するときに、頭に思い浮かんだことを追いかけない。
これが眼横鼻直への第一歩なのです。
晴れたら、「あ、晴れた」
曇ったら「あ、曇った」
雨なら「あ、雨」
ただそれだけ。
そう感じることができれば、浸水しても
「あ、水が入ってきた」
だけです。
当たり前の世界を素直にそのまま受けとれる心を私達は持っています。
そのことを、目を見たとき、鼻を見たときに感じていただければ幸いです。
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