子供坐禅会 般若心経シリーズ その17 是故空中無色
この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。
※東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)についてはこちらをご覧ください。
※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。

子供坐禅会 般若心経シリーズ その17 是故空中無色

この写真は何の写真か分かりますか?
石がゴロゴロしています。
だた石が転がっている場所でしょうか。
よく見ると、石がない部分もあります。
少し、遠くからこの場所を見るとどうでしょうか。

なんだか道のようなものが見えますね。
もっと離れて見ましょう。

有名なナスカの地上絵です。
近くで見ると石だらけでつまずきそうな場所も、遠く離れてみると美しいものだと気づくことができるのです。
ナスカの地上絵だけでなく、近くで見ていると分からないけれども、遠くに離れたときに見えるものがあります。
近くで接していると、嫌なことばかりを言ってくる人だと思っていたけど、離れてみると誰よりも周囲のことを考えて行動する人だったことに気がつくこともあります。
「この人は嫌な人だ」
と思い込んで、その人を見ていれば、どんどんその人ことを嫌いになっていきます。
「この人は嫌な人」と思い込む心が、嫌な人を作り出してしまうこともあるのです。
そんなときはその人と離れてみてはいかがでしょうか。
そんなの無理だよ!!と言う人もいるでしょう。
もちろん、そのようなときもあります。
そういう場合はどうしたら良いのでしょうか。
そんなときは「この人は嫌な人」と思い込む心から離れて見ましょう。
ナスカの地上絵のように、何か違うものが見えてくるかもしれません。

般若心経の中で
無心になれば、すべて空である
と言うことを
是故空中無色【ぜこくうちゅうむしき】
と表現しています。
「無心」というのは心を無くすことではありません。一切の妄念を離れた心、つまり
無心とは「あれも欲しい、これも欲しい、自分だけがすごい、自分さえよければいい」と言ったわがままな心から離れた状態のことを言います。
「空【くう】」とは”こだわりがない”ことを意味しています。
ですから、是故空中無色【ぜこくうちゅうむしき】は
自己中心的なわがままな心から離れたとき、自分を苦しめていたものは自分が勝手に持っていた”こだわり”が作り出していたことに気がつける
ということを教えてくれています。
もちろん、自分の心だけで解決できない理不尽で辛い悩み苦しみもあります。
しかし、自分が作り出した悩みによって自分自身が苦しめられていることもあることを般若心経では
是故空中無色【ぜこくうちゅうむしき】
という短い言葉で教えてくれています。
お経をお唱えしているときに、この言葉に気がついたら「無心になれば、すべて空である」ということを思い出してください。
そして、悩みや苦しみに直面したときには、”離れてみる”という選択肢があることを思い出してください。

その実践が坐禅です。
身体を調え、呼吸を調え、心を調えるのが坐禅です。
このことを実践しているとき、すぐ近くにあると思い込んでいる悩みや苦しみの原因から自然と離れているものです。
さぁ、一緒に身体を調え、呼吸を調え、心を調えましょう。
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