子供坐禅会 般若心経シリーズ その14 不生不滅
この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。
※東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)についてはこちらをご覧ください。
※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。

「人は亡くなったらどこへ行くのでしょか?」
私が小学生だったら、迷うことなく
「天国か地獄」
と答えていたと思います。
実際にはどこへ行くのでしょうか?
僧侶になりたてのころ、おしゃべりをしていた高齢女性に突然、
「あの世はきっといい所です。だってあの世に行った人が誰も帰ってきませんから」
と、言われて言葉を返すことができず、
「人は亡くなったらどこへ行くのか?」
という問題について考えたことがあります。
その際に出会ったのが、トンチで有名な一休さんの言葉です。
一休さんが亡くなる直前に言ったと言われる言葉に
今死んだ どこへもいかぬ ここにおる たずねはするな ものはいわぬぞ
というものがあります。
亡くなったからと言って、突然遠くの世界に行くわけではない。いつでもそばにいる。でも、話しかけたりはできないよ。
「人は亡くなったらどこへ行くのか?」
という質問に対して明確に答えているように私は感じます。
私達はどうしても、何かを分別したくなります。
それが、便利で楽なことはよく知っています。
得か損か、好きか嫌いか、高いか安いか、価値が有るか無いか、正しいか間違いか・・・
しかし、実際には2つに分けられるものばかりではありません。
手に表と裏の境目がないように 2つに分けることができないものばかりです。
生きているか、死んでいるか。
死んだら天国に行くか、地獄に行くか。
そうやって2つに分けたり、分別をしようとする心が、悩みや苦しみを生み出します。
般若心経の中に
不生不滅【ふしょう ふめつ】
という言葉が出てきます。
生きることも、滅することも無い
と言う意味です。
「無い」は「こだわらない」
を意味しており、
生きているか亡くなっているかと分別することにとらわれてはいけない。
と教えてくれています。
「どこへもいかぬ ここにおる」のですから、そのことに悩み苦しむのではなく、
「大切な人もそうでない人も、すべての“いのち”が自分の中にいてくれる。」
と感じることが大切であり、そう感じることができる心を私達はすでに持っています。
姿勢を調え、呼吸を調えることで、心が調っていく。
それが坐禅です。
心が調ったときにこそ「すべての“いのち”が自分の中にいてくれる。」と実感することができます。
さぁ、一緒に身体と呼吸と心を調えていきましょう。
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