子供坐禅会 般若心経シリーズ その11 空即是色
この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。
※東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)についてはこちらをご覧ください。
※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。

この曲がりくねった松を まっすぐに見たものに、褒美をとらせよう
トンチで有名な一休さんこと、一休宗純という和尚様が実際に言ったと言われている言葉です。
見事なくらいに曲がった松を見て、そこに住む村人に一休さんは
「この曲がりくねった松を まっすぐに見たものに、褒美をとらせよう」
と言ったそうです。
村人たちは、遠くから見たり、近くから見たり、または下から見たりと、いろいろ試してみますが・・・
どう見ても曲がっています。
そんな、様子を見ていたひとりの子供が
「この松、曲がってるね!」
と言うと、一休さんは「その通りだ!あなたは、松をまっすぐに見ることができた。」と子供をほめて褒美を与えたそうです。

”まっすぐ”という言葉を素直に受け取った子供と、自分の価値観に当てはめてしまって悩んだ大人の姿を描いた逸話だと感じます。
仏教の言葉に「空【くう】」というものがあります。
詳しく説明しようとすると、難しくなってしまいますので、薬師寺と言うお寺の住職を務められた高田好胤師の言葉を紹介します。
高田好胤師は「空」を
かたよらない心
こだわらない心
とらわれない心
と表現されました。
このような素晴らしい心を誰もが持っていると仏教では教えてくれています。
しかし、私達の心は、かたより、こだわり、とらわれてしまいがちです。
かたよった心はやがて、思い込みを生じさせてしまい、その思い込みが差別をする心を生み出します。
同様に
こだわってしまう心も、”こうでなければいけない”という心を生み出し、理想との違いに悩み、やがては理想につぶされてしまいます。
とらわれの心も、過去にしばられる心となり、心身の身動きが取れなくなってしまいます。
このような心で松をまっすぐ見ようとしたとき、場所を変えたり、松を伸ばそうとしたり、”外側”を変化させようとしてしまいます。
松をまっすぐに見たいならば、かたより、こだわり、とらわれてしまう自分の心、つまり”内側”を変えなくてはいけません。
かたよりがちな心は、広い世界を見ることで自分のかたよりに気がつくことができます。
こだわってしまう心は、精一杯努力をしてから「ま、いっか!」と声に出すことで、心がほどけていきます。
とらわれがちな心は、静かに息を吐き出すことを繰り返すことで、少しずつ解放されていきます。
もちろん、これらの実践だけが素晴らしいのではありません。
かたよらず、こだわらず、とらわれない心を実感するための大切な実践の一つが坐禅です。
身体を調え、呼吸を調え、心を調える
これが坐禅であり、自分の心をまっすぐに見る実践です。
さぁ、これから一緒に坐禅をしていきましょう!!

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