子供坐禅会 般若心経シリーズ その10 色即是空
この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)と臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会(子供坐禅会)を同時開催で私が話した内容をまとめたものです。
※東光寺(静岡市清水区横砂)のみんなの坐禅会(子供坐禅会)についてはこちらをご覧ください。
※臨済宗青年僧の会 オンライン坐禅会についてはこちらをご覧ください。

「自分の価値」は何で決まるのでしょうか?
幼少期の私は「自分の価値」というものがわからず、悩み続けた時期がありました。
誰かと比較されるたびに「お前には価値がない」と言われているように感じました。
その頃の私は「自分の価値」を、何かと比較して決めてしまっていたように思います。
あの人よりも努力をしているから、自分には価値がある。
あの人よりも努力をしていないから、自分には価値がない。
あの人はたくさんのお金を持っているから価値がある。
あの人はお金が無いから価値がない。
本当に、そのようなことで価値が決まるのでしょうか?
たくさんお金を持っていても、死んでしまったらあの世へお金を持っていくことはできません。
もしもお金や持っている物でその人の価値が決まるのであれば、亡くなった人はみんな無価値になってしまいます。
「大切な人でも亡くなったら、その人は無価値ですよ」
とはなりません。
と言うことは、人の価値は”お金や物”で決まることは無いのです。
そのことを
『大切だと思い込んでいる宝物を持ってこの世を去ることはできない。見えているモノは空であり、実体などない』
と般若心経の中にある色即是空【しきそく ぜくう】という言葉が教えてくれています。
では、「空・実体がない」ということは「みんなが無価値」と言うことなのでしょうか?
もちろん違います。
「空」とは何でしょうか?
薬師寺の高田好胤和尚は般若心経の空を
かたよらない
こだわらない
とらわれない
と紹介しています。
「あらゆるものが空」ということは、
このような、「かたよることなく、こだわることなく、とらわれることがない心」も「空」であり、この心を誰もが持っていると仏教では説くのです。
誰にでも、かたよることなく、こだわることなく、とらわれることがない心で物事を見ていくことができると説いているのです。
もしも、「自分の価値」というものを知りたいのならば、自分の財産等は調べる必要などありあません。
誰にでも、かたよることなく、こだわることもなく、とらわれることもない素晴らしいものを持っているのだから、誰もが「自分の価値」は∞(無限大)なのです。
- 関連記事