私達の心には柔軟性がある 柔軟心【にゅうなんしん】その2

先日のブログで、「お坊さんの仕事は早いもの順」という言葉を紹介しました。
※記事はこちらです。
私にはもう一つ大切にしている言葉があります。
それが
「僧侶として頼まれた仕事は断らない」
ということです。
僧侶の先輩方が自分を律するために常々使っている言葉です。
これも「お坊さんの仕事は早いもの順」と同様に“分別・選り好みをしない”ことの実践です。
ところで、「柔軟【じゅうなん】」という言葉を御存じでしょうか?
柔軟という言葉は日常で非常によく使われる言葉です。
その名の通り”やわらかい”ことを意味する言葉です。
禅では、心がやわらかく、しなやかに生きることを「柔軟な心」と書いて
「柔軟心【じゅうなんしん・にゅうなんしん】」
と言うのです。
お経の中にも
自ら自の柔軟心に帰依して、自なく他なく一切衆生と和敬随順(わけい ずいじゅん)するを帰依僧和合尊(きえそう わごうそん)という
という言葉があります。
自分の中にある柔軟でしなやかな心を大切にすることで、自分や他人という区別がなくなり、全ての生きとし生けるものと、仲良く一体となって生きていくことができる。このことを帰依僧和合尊と言います。
という意味であり、柔らかい心を大切にしていることが分かります。
禅の話をするときに、私達の心を水と氷に例えることが良くあります。
仏さまと同じ素晴らしい心のことを、自由自在に形を変えて、どんな器にも収まる水に例え、
悩み苦しむ心を、固まって動くことができず、入る器を選り好みする氷に例えます。
このように、仏教では柔軟な心を大切にしており、それを柔軟心【にゅうなんしん】と大切にしていますし、この柔らかな心が仏そのものだと説くのです。
先ほど紹介した「仕事を断るな」とこういう言葉は私が僧侶になりたての約10年前に頂いた言葉です。
「分別をしてはいけない、だからこそ、いただいた仕事は多少忙しくてもしっかりと受け取ってやりなさい」
と、教えていただきました。私はこの言葉を10年間信じてきました。もちろん仕事を断らないということはとても大変なことです。忙しい時に限って、あれもこれもと仕事を頼まれます。
しかし、そんなときでも
「私が断らない事によって、自分自身が学ぶことがたくさんある」
そう思って、先輩の言葉を思い出しながら仕事に取り組んできました。
人前で法話をする仕事があれば、断らずに原稿を作成して法話をしてきました。
原稿を作れば、その際に様々なことを勉強し自分自身の成長に繋がるとそういうことを繰り返し感じてきました。
「仕事を断るな」という言葉を教えていただいてから10年以上が経過したころ、その言葉を教えてくれた和尚様と話をする機会がありました。
驚くことに10年以上たって「仕事を断るな」には続きがあることを教えてもらったのです。
「仕事は断っちゃだめだよ、今どんどん忙しくなってきているかもしれないけれども、そういう時にこそ頼まれた仕事は精一杯やりなさい。」
「ただし大変だと思った時には半歩前を行く先輩、一歩先を進んでいる先輩を頼りなさい。」
と、言ったのです。この言葉を聞いた時に本当に衝撃を受けました。
あーそうか、私は仕事を引き受けたなら、その仕事を一生懸命することだけに固執していたように感じたのです。そしてそれは、周りのことが見えず一人で息切れをしているような状態だったように感じました。
しかし、この状態は決して良い状態ではありません。
「一生懸命やる、そして誰かを頼る。」
これが本当に大切なことだったと感じました。
そして、これに必要なのが柔軟な心「柔軟心」なのです。
自分だけが頑張っていく、これには無理があります。
「自分だけで頑張って、自分だけで成果を上げたんだ。」
そうやって思い込んで行くということは自分と他人との間に壁を作ることであり、決して仏教・禅の目指す世界ではありません。
誰かに頼ること、誰かに任せることも非常に大切なことです。ただし自分が受け取った仕事を他人に全て丸投げにしろということでは決してありません。
私達の心は、もともとしなやかに生きることができる柔軟性を持っています。そのことを仏教・禅では「柔軟心」「衆生本来仏なり」など様々な言葉で表現しています。
しかし、そのような素晴らしい心の存在を忘れてしまうことが多くあります。
私は柔軟な心という言葉は知っていました。そして、そのことを仏教がとても大切にしている心境だということも理解していました。
どちらかと言えば、自分もそういった世界を目指して普段から心を柔らかくしようと努力をしたり、「柔らかくすることは大切ですよ」とお伝えしてきました。
しかし、「仕事は断っちゃいけないよ。でも、できない時には前を行く人に助けてもらいなさい」
その一言を聞いた時に、周囲の人を認めて頼る心の柔らかさがなくなっていたことに気がつきました。
自分だけががんばっていると勘違いをして、心が凝り固まった状態だったことを教えてくれる一言でした。
何かをがんばることは決して間違いではありません。しかし、周囲のことが何も見えなく程集中し、周囲を頼る心のゆとりを失うことは自己中心的な考え方である「自我」を発生させる原因となってしまいます。
「柔軟」という言葉は日常の中でよく使う言葉です。「柔軟」という言葉を聞いたり使ったりしたときに、「自分の心の柔軟性」について見つめ直していただければ、硬くなりかけている自分の心に気がつき、早めに対応ができるかもしれません。
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