あ、自覚がないタイプですね!
あ、自覚がないタイプですね!
と言われたことがあります。

私現在43歳です。
30代半ば頃からマッサージをしてもらうことが増えてきました。
温泉に行くとマッサージチェアこういうのがあります。以前は全く興味がありませんでした。
その頃は肩が凝っているという自覚もありませんでした。
しかし、30代半ばを過ぎた頃に急に肩こりというものを体験しました。
あまりに辛い肩こりだったので日常生活に支障があり、マッサージの方法を調べていろいろな実践をし、血行が悪いから肩を動かすようにするなどしたところ、症状はだいぶ改善することができました。
その後、しばらくは肩こりがなくなったと思っておりましたが、あるときに肩をもんでくれた人私の肩を触るなり
「凝ってますね、凝ってますね」
と言うのです。
確かに少し前に肩こりがあって、その肩こりが改善されたと思っていたので
「いやいや、今は凝っていないんですよ。」
と言うと、その方に
「あ、自覚のないタイプですね!」
と言われたのです。肩こりには自覚があるタイプと自覚がないタイプがいるそうで、私は自覚がないタイプだと言うのです。
だから肩こりはしているんだけど、肩こりしてることに気がついてないタイプだと言うのです。
そう言われて自分の手で肩を触ってみると確かに硬いのです。
そして、以前に肩こりをした際に調べたマッサージをしてみると肩は軽くなるのです。
自分でもびっくりしましたが、その方が言うには、固くなっていることに気がつかないということはよくあるそうです。
私は、自分の肩が凝っているかどうか気がつかいないように、本来はやわらかい心が、気がつかいないうちに固くなっていることがあるように思います。
私達の心は、もともと柔らかで柔軟な心を持っていることを禅では「衆生本来仏なり」など様々な言葉で表現しています。
しかし、無自覚な肩こりのように、無自覚なうちに素晴らしい心が氷のように固まってしまうのです。
無自覚な肩こりですが、指摘をされて運動をしたりマッサージをしたりすれば軽くなります。
同じように、無自覚なうちに固まってしまった心を柔らかくする方法があります。
それが、禅の教えを毎日の生活に生かすための言葉である、臨済宗妙心寺派の生活信条です。
「一日一度は静かに坐って、身体と呼吸と心を調えましょう」
「人間の尊さにめざめ、自分の生活も他人の生活も大切にしましょう」
「生かされている自分を感謝し、報恩の行を積みましょう」
と言うものです。
「一日一度は静かに坐って、身体と呼吸と心を調えましょう」
は坐禅などの実践をすることで心の柔らかさを保つことの大切さを説いています。
「人間の尊さにめざめ、自分の生活も他人の生活も大切にしましょう」
は心の柔らかさを保つことで、自分へのこだわりを捨てて、周囲のこともしっかりと見つめることの大切さを説いています。
そして、
「生かされている自分を感謝し、報恩の行を積みましょう」
は、心の柔らかさを保つことで周囲に生かされていることを自覚し、感謝の気持ちを持って生きることの大切さを説いています。
この生活信条を大切にしながら、「自分の心の柔らかさ」を無自覚に固くするのではなく、早めに対応していきたいと思います。
と言われたことがあります。

私現在43歳です。
30代半ば頃からマッサージをしてもらうことが増えてきました。
温泉に行くとマッサージチェアこういうのがあります。以前は全く興味がありませんでした。
その頃は肩が凝っているという自覚もありませんでした。
しかし、30代半ばを過ぎた頃に急に肩こりというものを体験しました。
あまりに辛い肩こりだったので日常生活に支障があり、マッサージの方法を調べていろいろな実践をし、血行が悪いから肩を動かすようにするなどしたところ、症状はだいぶ改善することができました。
その後、しばらくは肩こりがなくなったと思っておりましたが、あるときに肩をもんでくれた人私の肩を触るなり
「凝ってますね、凝ってますね」
と言うのです。
確かに少し前に肩こりがあって、その肩こりが改善されたと思っていたので
「いやいや、今は凝っていないんですよ。」
と言うと、その方に
「あ、自覚のないタイプですね!」
と言われたのです。肩こりには自覚があるタイプと自覚がないタイプがいるそうで、私は自覚がないタイプだと言うのです。
だから肩こりはしているんだけど、肩こりしてることに気がついてないタイプだと言うのです。
そう言われて自分の手で肩を触ってみると確かに硬いのです。
そして、以前に肩こりをした際に調べたマッサージをしてみると肩は軽くなるのです。
自分でもびっくりしましたが、その方が言うには、固くなっていることに気がつかないということはよくあるそうです。
私は、自分の肩が凝っているかどうか気がつかいないように、本来はやわらかい心が、気がつかいないうちに固くなっていることがあるように思います。
私達の心は、もともと柔らかで柔軟な心を持っていることを禅では「衆生本来仏なり」など様々な言葉で表現しています。
しかし、無自覚な肩こりのように、無自覚なうちに素晴らしい心が氷のように固まってしまうのです。
無自覚な肩こりですが、指摘をされて運動をしたりマッサージをしたりすれば軽くなります。
同じように、無自覚なうちに固まってしまった心を柔らかくする方法があります。
それが、禅の教えを毎日の生活に生かすための言葉である、臨済宗妙心寺派の生活信条です。
「一日一度は静かに坐って、身体と呼吸と心を調えましょう」
「人間の尊さにめざめ、自分の生活も他人の生活も大切にしましょう」
「生かされている自分を感謝し、報恩の行を積みましょう」
と言うものです。
「一日一度は静かに坐って、身体と呼吸と心を調えましょう」
は坐禅などの実践をすることで心の柔らかさを保つことの大切さを説いています。
「人間の尊さにめざめ、自分の生活も他人の生活も大切にしましょう」
は心の柔らかさを保つことで、自分へのこだわりを捨てて、周囲のこともしっかりと見つめることの大切さを説いています。
そして、
「生かされている自分を感謝し、報恩の行を積みましょう」
は、心の柔らかさを保つことで周囲に生かされていることを自覚し、感謝の気持ちを持って生きることの大切さを説いています。
この生活信条を大切にしながら、「自分の心の柔らかさ」を無自覚に固くするのではなく、早めに対応していきたいと思います。
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