冷し芋(焼いも)と戒名

あるとき、妻が「冷し芋」を買ってきました。
冷えた、焼き芋のように見えました。
食べてみると、口の中に衝撃が走りました。
甘い!!
おいしい!!!
信じられないほど甘くておいしいのです!!
思わず、ゴミ箱に入っている袋を拾い、材料を確認しました。
きっと砂糖など、様々な材料が加えられて作られたお菓子であろうと見てみると・・・・
材料はサツマイモのみ。
見事な温度管理によってサツマイモのデンプンが糖に変えられたのです。
焼き芋を甘くするためには、芋のデンプンを糖に変えるアミラーゼの働きが重要です。
デンプンが糖に変わるのは65度~75度。アミラーゼも80度以上になると壊れてしまいます。
つまり、65度~80度という適度な温度を長く保てばデンプンが糖に変化し、硬かった芋はふっくらとやわらかくどんどん甘くなります。
私も知識としては知っているのですが、実際にやろうとするとなかなかうまくいきません。
しかし、目の前に出された「冷し芋」は理論と実践が見事に合致した素晴らしい物でした。
少し、無理な話しと思うかもしれませんが・・・
私はこの冷し芋を食べたときに「戒名」のことを考えていました。
戒名とは「亡くなった方の名前」と思っている方が多いのですが(私も僧侶になる前はそう思っていました)、実際には「仏教徒になった方の名前」です。
「仏さまの教えを守ることを誓った方」が仏教徒ですから、
戒名とは「仏さまの教えを守ることを誓った方の名前となるのです。」
仏さまの教えとは様々ありますが、代表的なものでは五戒【ごかい】というものがあります。
仏教徒が守る5つの戒め【いましめ(約束・習慣)】を五戒【ごかい】といいます。
5つとは
殺しません、盗みません、みだらなことをしません、嘘をつきません、そして酒に呑まれません
と言うものです。このような良い習慣を胸に日々の生活を送る方に授けられる名前を「戒名」と言うのです。
では、なぜ「亡くなった方の名前」と思い込んでしまうのでしょうか。
今も昔も、大切な方を亡くしたときに、
その方に
「仏さまの教えを胸にこれからも生きて欲しい」、「あちらの世界で、迷うことなく生きて欲しい(成仏して欲しい)」
という思いから、お別れの場である葬儀で今一度、戒名を受け取る(授かる)儀式をしています。
以前は生きているうちにも戒名を授かり、仏教徒として約束を守りながら生活をして、亡くなった後に改めて儀式をしていたのです。
しかし、今では生前に戒名を受け取る方が減少しているため、戒名は「亡くなった方の名前」と感じる方が多いのです。
では、なぜ「冷し芋」を食べて「戒名」を思い出したのでしょうか。
冷し芋はサツマイモからできています。
何も足していません。
しかし、味は劇的に変わっています。
人も同じです。
人間を構成している物質は変化していなくても、心が変われば全てが変わってきます。
周囲をねたみ、憎しみの心を持ち続ければ、自分自身が悩み苦しみます。
しかし、周囲に生かされていることを実感して感謝の気持ちを持って生活をすることができれば、自分自身を悩ませ苦しめるものはなくなっていきます。
サツマイモも様々な材料を加えて調理して味を変えていくことはできます。
同じように、悩み苦しむ環境に救の手があって、悩み苦しみが癒されることもあります。
それと同時に、サツマイモの持っている力を存分に引き出して、本来持っているデンプンを糖に変えることができるように、私達の悩みや苦しみを変化させることもできるのです。
私達の迷い苦しむ心を調える方法は様々です。
坐禅・写経・読経・先祖供養
様々な良い習慣があります。
そして、この中に「戒名」を持って生きることもあります。
周囲を変えるのではなく、環境を変えるのでもなく、自分自身の生き方を変えることで、本当の自分に出会う方法の一つが「戒名」を持つことだと私は考えています。

・・・そんなことをおいしい「冷し芋」を食べながら考えていました。
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