ファミコンのリセットボタンについて

中学生の頃に、ある先生が
「ファミコンにリセットボタンはあるが、人生にリセットボタンはない。」
と話してくれました。
とても、説得力がある言葉ではありますが、中学生の私には、つらい言葉でした。
「リセットができない」という言葉は
自分がしてしまったミスは取り返しがつかないということをしめしています。
このことは悲しいことですが納得はできます。
しかし、「リセットできないと」いう言葉には
「生まれ持った理不尽な差を、どんなに努力をしても埋めることができない」
という意味も持っています。
どこに生まれたのか、どこで生活をしているのか。肌の色、髪の性質、誰に育てられたか・・・
変えたくても変えられないものはたくさんあります。
自分の意思とは関係なく、受け入れなくてはいけない現実があるのです。
これを「リセットできない」と断言されると、本当につらくなります・・・・
般若心経という和尚に
得阿耨多羅三藐三菩提 【とく あ のく たら さんみゃくさんぼだい】
という言葉があります。
日本語にすると
この上なく 正しく等しい 悟りがある
という意味になります。
臨済宗の和尚様で布教に尽力をされ続けた松原哲明師は著書の中で「得阿耨多羅三藐三菩提」について以下のように紹介をしています。
正しく等しい悟りなどというと、自分には関係なく、無縁なものだと思っている人もおられよう。
しかし、だれでも仏になれる仏性をもっているのである。そのことに気づくかどうかである。
それを気づかせてくれるのが、『般若心経』なのである。
人が仏性をもっている具体的な姿は、生まれたばかりの赤ん坊である。その無心な姿と心こそが悟った仏さまの心と同じなのである。
誰もが生まれたばかりの赤ん坊を体験しています。
誰もが無心な姿を体験しているのです。
と、言うことは
現状が辛くても、私達は「リセットボタン」を押すことで、誰もが体験した赤ん坊と言う無心な姿に戻ることができるのです。
そう考えると、
「ファミコンにリセットボタンはあるが、人生にリセットボタンはない。」
は言い方を変えることができるように思えます。
私なら
「ファミコンにリセットボタンはあるが、人生にリセットボタンはない。」
と言う言葉は
「ファミコンにリセットボタンはあるが、肉体にリセットボタンはない、しかし心のリセットボタンは、いつでも自分で押すことができる。」
と言い換えます。