毎週土曜日はインスタの日 渓声便是広長舌 山色豈非清浄身
【毎週土曜日はインスタの日】
毎週土曜曜日にインスタ(Instagram・インスタグラム)を更新し、その内容をブログにも掲載しています。
※Instagram(インスタ・インスタグラム)はこちらです
※これまでの記事はこちらです。
写経会で配布する絵葉書を作成しました。

今回は
【渓声便是広長舌】
(けいせい すなわち これ こうちょうぜつ)
【山色豈非清浄身】
(さんしょくあに しょうじょうしんに あらざんや)
と言う禅語を紹介したくて、妻に大日如来を描いてもらい、
「私は間違ってない」を捨てたとき 聞こえる音がある。見える景色がある。
という言葉を加えました。
この絵葉書について妻と会話をして、その内容をインスタにアップしました。









妻
大日如来、という仏さんを言われるがままに描いてみました!如来だけど飾りいっぱいで珍しいんだよね。
私
そうですね、書いてもらいました。ありがとうございました。
妻
この仏さんのこともよくわからないし、めっちゃ長い禅語もちらっと書いてあるけど、これもわからない…。今回わからないことだらけっす。
私
ですねよ。
説明不足で申し訳ありません。
大日如来は仏教で大切にされていている仏様で、宇宙の真理を現し、宇宙そのものを指すと言われているんだよ。
個人的にはウィキペディアの「仏の悟りの境地そのものである法身は、色も形もなく、説法もしないとされるが、大日如来は法身でありながら説法を行う」という説明が好きです。この説明が今回の絵葉書の禅語の説明と共通する部分があるんだよね。
妻
ってことは、悟りってほんとはカタチには見えないけど、あえて見えるカタチにして、しかもしゃべっちゃうよ、ってのが大日如来ってことかー。
私
上手な説明ですね。その通りです。
妻
ありがとさん。
で、禅語は?読む気がうせるほど長いんだけど…
私
確かに、長いね~
【渓声便是広長舌】
(けいせい すなわち これ こうちょうぜつ)
【山色豈非清浄身】
(さんしょくあに しょうじょうしんに あらざんや)
実は、短縮版もあるんだよ。
【渓声山色】ってね。
妻
キムタク、とか、逃げ恥、みたいな短縮の仕方だわ~
私
!!!
渓声は谷川の音と山々の色、広長舌は仏様の舌を表しています。
だから、【渓声便是広長舌】は「谷川で聞こえてくる川の音は仏の声である」という意味。
同じように清浄身は汚れのない身体のことで、仏身を表しています。
だから、【山色豈非清浄身】は「山々の姿が、そのまま仏様の姿である」という意味です。
妻
声と姿を表していたのか!
私
昔の和尚さんが悟りとは何かを悩みに悩んだ末に、ある渓谷にさしかかって、谷川のせせらぎの音を聞きハッと悟りを開き、そのときの感動を「川の音が仏の声で、山が仏の姿。いつでも、どこでも仏の声が聞こえ、仏に出会っていた」と言葉にしたんだよ。
妻
感動ダダ洩れだ!
私
この感動と、大日如来の「仏の悟りの境地そのものである法身は、色も形もなく、説法もしないとされるが、大日如来は法身でありながら説法を行う」という説明は同じことを教えてくれているように感じるんだよね~。
妻
ここでつながるのかー
やっと納得。描いてるときは全然わからんかったけど(笑)
でも、川のせせらぎを仏の声と感じるには相当修行つまなきゃダメっしょ?
私
そうだね、せせらぎを聞いた瞬間に、ハッと悟るには相当な修行が必要だね。でも、私達にも今すぐできる修行があるよ。
その1つが、自我とも言われる「私は間違ってない」という感情を捨てること。自分自身が「私は間違っていない・私だけが正しい」という耳栓をしていたり、アイマスクをしていることに気がつかないで、大切なことが聞こえなくなったり見えなくなることはよくあるからね。
妻
そうだねー。私は自分の価値観だいぶ押し付けちゃうとこあるからな。ここを疑ってみるのって難しいけど、必要なんだよね。
私
と、私も自分に言い聞かせています。
東光寺ではこのようなイラストの絵葉書を写経会のお土産として差し上げています!
東光寺写経会は
毎月23日 10時~
詳しくはこちらをご覧ください。
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今回は
【渓声便是広長舌】
(けいせい すなわち これ こうちょうぜつ)
【山色豈非清浄身】
(さんしょくあに しょうじょうしんに あらざんや)
と言う禅語を紹介したくて、妻に大日如来を描いてもらい、
「私は間違ってない」を捨てたとき 聞こえる音がある。見える景色がある。
という言葉を加えました。
この絵葉書について妻と会話をして、その内容をインスタにアップしました。









妻
大日如来、という仏さんを言われるがままに描いてみました!如来だけど飾りいっぱいで珍しいんだよね。
私
そうですね、書いてもらいました。ありがとうございました。
妻
この仏さんのこともよくわからないし、めっちゃ長い禅語もちらっと書いてあるけど、これもわからない…。今回わからないことだらけっす。
私
ですねよ。
説明不足で申し訳ありません。
大日如来は仏教で大切にされていている仏様で、宇宙の真理を現し、宇宙そのものを指すと言われているんだよ。
個人的にはウィキペディアの「仏の悟りの境地そのものである法身は、色も形もなく、説法もしないとされるが、大日如来は法身でありながら説法を行う」という説明が好きです。この説明が今回の絵葉書の禅語の説明と共通する部分があるんだよね。
妻
ってことは、悟りってほんとはカタチには見えないけど、あえて見えるカタチにして、しかもしゃべっちゃうよ、ってのが大日如来ってことかー。
私
上手な説明ですね。その通りです。
妻
ありがとさん。
で、禅語は?読む気がうせるほど長いんだけど…
私
確かに、長いね~
【渓声便是広長舌】
(けいせい すなわち これ こうちょうぜつ)
【山色豈非清浄身】
(さんしょくあに しょうじょうしんに あらざんや)
実は、短縮版もあるんだよ。
【渓声山色】ってね。
妻
キムタク、とか、逃げ恥、みたいな短縮の仕方だわ~
私
!!!
渓声は谷川の音と山々の色、広長舌は仏様の舌を表しています。
だから、【渓声便是広長舌】は「谷川で聞こえてくる川の音は仏の声である」という意味。
同じように清浄身は汚れのない身体のことで、仏身を表しています。
だから、【山色豈非清浄身】は「山々の姿が、そのまま仏様の姿である」という意味です。
妻
声と姿を表していたのか!
私
昔の和尚さんが悟りとは何かを悩みに悩んだ末に、ある渓谷にさしかかって、谷川のせせらぎの音を聞きハッと悟りを開き、そのときの感動を「川の音が仏の声で、山が仏の姿。いつでも、どこでも仏の声が聞こえ、仏に出会っていた」と言葉にしたんだよ。
妻
感動ダダ洩れだ!
私
この感動と、大日如来の「仏の悟りの境地そのものである法身は、色も形もなく、説法もしないとされるが、大日如来は法身でありながら説法を行う」という説明は同じことを教えてくれているように感じるんだよね~。
妻
ここでつながるのかー
やっと納得。描いてるときは全然わからんかったけど(笑)
でも、川のせせらぎを仏の声と感じるには相当修行つまなきゃダメっしょ?
私
そうだね、せせらぎを聞いた瞬間に、ハッと悟るには相当な修行が必要だね。でも、私達にも今すぐできる修行があるよ。
その1つが、自我とも言われる「私は間違ってない」という感情を捨てること。自分自身が「私は間違っていない・私だけが正しい」という耳栓をしていたり、アイマスクをしていることに気がつかないで、大切なことが聞こえなくなったり見えなくなることはよくあるからね。
妻
そうだねー。私は自分の価値観だいぶ押し付けちゃうとこあるからな。ここを疑ってみるのって難しいけど、必要なんだよね。
私
と、私も自分に言い聞かせています。
東光寺ではこのようなイラストの絵葉書を写経会のお土産として差し上げています!
東光寺写経会は
毎月23日 10時~
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