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オンライン坐禅会 法話【冷暖自知 その1】

この文章は臨済宗青年僧の会で開催しているオンライン坐禅会を担当させていただいたときの法話原稿です。


600冷暖自知 禅語



静岡には『雪見遠足』という行事があります。



静岡の平野部では雪が降りません。



富士山など遠い山の上に降った雪は見ることができても、触ることはできません。



ですから、保育園や幼稚園では本物の雪に触れるために雪を見に行く遠足、『雪見遠足』を行うのです。






娘が小さい頃、この雪見遠足の準備のために、慣れないゴワゴワの服や、長靴を試着させると


「雪は嫌!!たくさん服を着ると暑いし行きたくない!!」


と言い始めました。




それでも、無理やり連れていくと・・・


大はしゃぎ!!!


何度も、何度もそり滑りを楽しんでいました。


帰宅後も「楽しかった、楽しかった」と話してくれました。






禅の言葉に

冷暖自知【れいだんじち】

という言葉があります。


実際に触れば、冷たいか暖かいかわかるように、悟りの体験はそれを得た人にだけが知ることができる。言葉では説明しきれない。



という意味があります。




娘は雪見遠足という、想像ができない世界に足を踏み入れる前は


「嫌だなぁ」


と思い込んでいました。しかし、飛び込むことで、その楽しさを知ることができました。



これも冷暖自知なのかもしれません。






しかし私は、冷暖自知にはもう少し違ったとらえ方もあるように感じます。


雪見遠足が嫌だった娘ですが、行ってみたら楽しかった。


ここまでは普通のことです。


しかし、私は娘のある行動に感動をしたのです。


それは。雪見遠足の思い出を「楽しかった!!」と素直に話してくれたことです。





私の場合、始めに「嫌だ」と口にしてしまったことを「好き」になることだけでも難しいのに、さらにそのことを「好き」と認めて誰かに話すことは、自分の間違いを認めることになってしまし、なかなかできません。



私は禅語、「冷暖自知」には


冷たいものを冷たい、暖かいものを暖かいと素直に観ることができる素直な心も大切だ


という意味も持っていると考えています。




実際に触れることで感じられることはたくさんあります。


しかし、それだけでなく、素直な心が大切だということを、雪見遠足へと出発する子供達を見るたびに思い出します。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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