竹のお兄さんは場所を選ばない
私にはゴールデンウイークの頃に行っている毎年恒例の仕事があります。

それは、観音山に生えてきた竹のお兄さんを伐採することです。
取り残したタケノコは急激に成長し・・・
「竹のお兄さん」になります。
※私が勝手に命名しているだけ、竹のお姉さんかもしれません・・・・
竹のお兄さんはすぐに、「竹」になります。
もちろん、「竹」が必要な場所もありますが、生えて欲しくない場所から出てきたタケノコや竹のお兄さんは伐採をしなくてはいけません。
今年は異様なほどタケノコや竹のお兄さんが生えてきて、例年をはるかに超える数を切っています。
そんな中、非常に珍しいものも発見しました。

一見すると、ただの斜面に生えた竹のお兄さんですが、よく見ると・・・

斜面から飛び出した木の根っこが作った輪(これも自体が珍しい)のど真ん中を貫通していました。
珍しいからと言って取っておくことはなく、あっさりと伐採はされましたが、
仏教の有名な例え話である盲亀の浮木【もうきのふぼく】を思い出します。
「盲亀の浮木」とは譬喩経【ひゆきょう】と呼ばれるお経に出てくる話です。
お釈迦様が阿難(あなん)というお弟子様に、
「広い海の底に、目の見えない亀がいて、その盲亀は百年に一度海面に顔を出す。そして、この広い海に一本だけ浮いている穴の開いた木の棒がただよっている。亀が海面に顔を出したときに、たまたま木の棒の穴に頭を入れるくらい、私達が人間と生まれてくることは貴重なことだ」
と説かれたお話です。
亀は穴を通ろうと狙ってはいません。
タケノコ(竹のお兄さん)も木の根でできた輪を狙っていません。
ただ、
亀は海面に顔を出す、
タケノコはまっすぐ伸びる、
そういった自分のなすべきことをしているだけなのです。
では、私はどうでしょうか。
純粋に、今やるべきことに取り組めているのだろうか。
竹のお兄さんを伐採するということに集中しなくてはいけないはずの時間に、珍しいもの(木の根の輪を通過する竹)を見つけて写真を撮っているのですから恥ずかしい限りです。
今、やるべきことにまっすぐに取り組むことの大切さを改めて感じさせてくれる竹のお兄さんでした。

それは、観音山に生えてきた竹のお兄さんを伐採することです。
取り残したタケノコは急激に成長し・・・
「竹のお兄さん」になります。
※私が勝手に命名しているだけ、竹のお姉さんかもしれません・・・・
竹のお兄さんはすぐに、「竹」になります。
もちろん、「竹」が必要な場所もありますが、生えて欲しくない場所から出てきたタケノコや竹のお兄さんは伐採をしなくてはいけません。
今年は異様なほどタケノコや竹のお兄さんが生えてきて、例年をはるかに超える数を切っています。
そんな中、非常に珍しいものも発見しました。

一見すると、ただの斜面に生えた竹のお兄さんですが、よく見ると・・・

斜面から飛び出した木の根っこが作った輪(これも自体が珍しい)のど真ん中を貫通していました。
珍しいからと言って取っておくことはなく、あっさりと伐採はされましたが、
仏教の有名な例え話である盲亀の浮木【もうきのふぼく】を思い出します。
「盲亀の浮木」とは譬喩経【ひゆきょう】と呼ばれるお経に出てくる話です。
お釈迦様が阿難(あなん)というお弟子様に、
「広い海の底に、目の見えない亀がいて、その盲亀は百年に一度海面に顔を出す。そして、この広い海に一本だけ浮いている穴の開いた木の棒がただよっている。亀が海面に顔を出したときに、たまたま木の棒の穴に頭を入れるくらい、私達が人間と生まれてくることは貴重なことだ」
と説かれたお話です。
亀は穴を通ろうと狙ってはいません。
タケノコ(竹のお兄さん)も木の根でできた輪を狙っていません。
ただ、
亀は海面に顔を出す、
タケノコはまっすぐ伸びる、
そういった自分のなすべきことをしているだけなのです。
では、私はどうでしょうか。
純粋に、今やるべきことに取り組めているのだろうか。
竹のお兄さんを伐採するということに集中しなくてはいけないはずの時間に、珍しいもの(木の根の輪を通過する竹)を見つけて写真を撮っているのですから恥ずかしい限りです。
今、やるべきことにまっすぐに取り組むことの大切さを改めて感じさせてくれる竹のお兄さんでした。
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