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昔話 「ねずみの嫁入り」に学ぶ その2

昔話シリーズ ねずみの嫁入り 正方形2



皆さんは「ねずみの嫁入り」という昔話を知っていますか?

前回の記事で紹介をしていますので、詳しくはこちらをご覧ください。

今回は2回目と言うことで、簡単に紹介をします。



「ねずみの嫁入り」は親ねずみが自慢の娘の結婚相手を探す物語です。

親ねずみは太陽にお願いしますが、

太陽には私を隠す雲がいいよ、雲には私を飛ばす風がいいよ、風には私が倒せない壁がいいよ、壁には私に穴を開けるねずみがいいと言われて、ねずみとの結婚を認め、結婚をした娘は幸せに生きていく話です。

話し全体としては、

幸せを遠くへ探しに行ったけれども、実はすぐ近くにあった

と言うことを教えてくれています。





この話で興味深いのは、親ねずみが結婚のお願いをする相手です。


話しに登場するのは太陽・雲・風・壁です。


それぞれが、大切なことを教えてくれているように感じます。



仏教の例え話に、太陽と雲はよく登場します。


多くのものを照らす太陽は、仏様や仏教の教えを表し、太陽を隠してしまう雲は、私達の中から湧き上がる煩悩や悩み、苦しみを示すことが多くあります。


では、この話でもそうでしょうか?


少し違うように感じます。




太陽にお願いするが、太陽は「雲のほうがすごいから雲にお願いをしてね!」といって親ねずみに雲をおすすめします。


このまま、よくある仏教の例えに入れてしまうと、


仏教の教えを学びに来た人に「いやいや、どうせ煩悩が勝っちゃうんだから、煩悩のままに行きなさい」と言ったことになってしまいます。


昔からある”昔話”は大切なことを伝えたくて、作られ、残されてきました。


ねずみの嫁入りも同じように大切なことを教えてくれています。


では、太陽と雲は何を教えてくれているのでしょうか。




私は、雲が修行をした人の心だと感じています。


雲はどうやってできるか知っていますか?


学校の理科で勉強しているかもしれませんが、少しだけ説明をします。


そもそも雲と何ですか?


雲は水や氷小さな粒です。それが空に浮かんでいます。


では、その水や氷の粒の原料はどこにあるのでしょうか?


それは、今目の前にある、この空気中にあります。


「何にもないよ!みえないもん!!」


と思うかもしれません。


確かに見えません。でも、寒い日に息をハーとしたときに白く見えませんか。


みんなは寒い日にだけ特別な息を吐いていますか?


そうではありません。暑い日も、寒い日も同じ息を吐いています。


この息の中にも水や氷の粒になる水分が含まれています。


そして、寒い日にはこの水分(目には見えない水蒸気)が冷やされて水や氷の粒になるのです。


つまり、雲は「目に見えない水蒸気と呼ばれる水分が目に見える形になったもの」なのです。





前回の記事でも紹介をしましたが、白隠禅師坐禅和讃というお経は


衆生本来仏なり


と始まります


「生きとし生けるもの 誰にでも 仏様の心があります」


と言うのです。


あなたも私も仏様なのです。




でも、このように言われても


「いやいや、私は仏様ではありませんよ」


と思ってしまう人もいると思います。


私は、そう感じました。


「いやいや、どう見ても仏様に見えないでしょ!」


とも思っていました。


では、

見えない・感じない = ない・存在しない

なのでしょうか。


もちろん、そうではありません。そのことを「雲」が教えてくれています。


目には見えないけど、そこにあった水分が冷やされて固まることで見えるようになった「雲」なのです。


同じように自分が仏様だと言われても、そのように見えないから信じられなくても、それは見えていないだけなのです。


見えていなくても、そこにあるのです。




白隠禅師坐禅和讃には


闇路に闇路を踏みそえて いつか生死を離るべき

という言葉もあります。


長い長い 闇を通り抜けて いつかは迷いや苦しみから離れることが大事


という意味です。


暗くて長いトンネルの中に入ってしまうと光を見ることはできません。


しかし、一歩一歩前に進んでいけば、やがては出口にたどりつき明るい世界へと到着をします。



「あなたは仏様ですよ」と言われても、自分の仏様が見えないことはよくあります。


それは、暗くて長いトンネルの中を歩いているときに先が見えないようなものです。


しかし、出口があると信じて一歩一歩進むことでやがて光に出会うように、自分の中の仏様にであうことはできるのです。


何もない所から雲ができるのではないように、


何もないところに仏様は出てきません。



様々な条件が重なったときに、雲ができるのと同じように


様々な条件が重なったときに、私達は自分の中の仏様を実感することができます。



そのようなことを「ねずみの嫁入り」で太陽が「雲の方がすごいよ」と雲をすすめる場面に感じます。




”様々な条件”というのはいろいろとあります。


その1つが坐禅です。身体と呼吸と心を調えることで、自分の中の仏様を実感することができる。


もちろん、1回坐っただけでそのことに気がつく人もいます。


しかし、多くの方は何度も何度も坐ることで、いつか気がつくことができます。


坐禅をして達成感や成長した姿を感じることはまれなことです。


それよりも多くの方は「これで何か成長するのかな!?」と疑問を持つことでしょう。


そんなときは、暗闇の中でも一歩一歩前に進むことで光に出会うことができると説く


闇路に闇路を踏みそえて いつか生死を離るべき


という言葉を思い出して、真剣に坐禅に取り組んでいただければ嬉しいです。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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