昔話 「ねずみの嫁入り」に学ぶ その1

皆さんは「ねずみの嫁入り」という昔話を知っていますか?
私のように、名前は聞いたことがあるけれど、内容を知らないという方もいるかもしれません。
「ねずみの嫁入り」は豊かなくらしをしているお金持ちのねずみの話です。
このねずみ、お金持ちですが子供がいませんでした。
そこで、ねずみは神様にお願いをします。
すると願いは通じて、かわいい女の子が生まれたそうです。女の子は成長するとねずみの国の中で比べるものがないほどに美しいねずみになりました。
こうなると、ねずみの両親は娘の結婚相手が心配になってきます。
少しでも良い相手と結婚をしてほしいと願うのです。
一番の娘なんだから、一番の相手と結婚してほしいと願うのです。
そこで、親ねずみは世界中を照らす太陽と結婚させようと、太陽に娘と結婚してくれないかと相談をします。
しかし、太陽は「雲は私を隠してしまうから雲のほうがすごいよ」と断ります。
そこで、親ねずみは雲の所へ相談をしに行くのですが「風は私を吹き飛ばすから風の方がすごいよ」と断ります。
そこで、親ねずみは風の所へ行くのですが「私は壁に勝てないから壁の方がすごい」と断られてしまいます。
そこで、親ねずみは壁に相談するのですが、壁は「ねずみは私を壊すのではねずみの方がすごい」と言われてしまいます。
親ねずみは壁の言葉を聞いて、ねずみの良さに気がつき娘をねずみと結婚させ、二人は幸せに生きていくという話です。
親が子供の結婚に口出すことが減っている現代ではなかなか考えられない話のように思うかもしれません。
しかし、大切なことは親が結婚に口を出すか、出さないかということではありません。
昔話「ねずみの嫁入り」が教えてくれているのは
幸せを遠くへ探しに行ったけれども、実はすぐ近くにあった
と言うことです。

では、親ねずみは無駄なことをしたのでしょうか?
「無駄なことをしてはいけない!」
ということを、この話は教えてくれているのでしょうか。
そうではありません。
結論は、「幸せはすぐ近くにあった」といことです。
白隠禅師坐禅和讃というお経は
「衆生本来仏なり」
と始まります。意味は
「生きとし生けるもの 誰にでも 仏様の心があります」
ということであり、
「迷える心を持つ わたしたちも 本当は 仏なのです」
ということです。
ねずみの嫁入りでも、遠くにいる太陽に結婚を申し込みます。これが誰もが持っている迷える心です。
しかし、やがてねずみがねずみの良さに気がつくように、迷える心をもつ私達も 本当は自分が仏である、「衆生本来仏なり」だと気がつくことができるのです。
その為には、太陽、雲、風、壁と様々な所を訪ねたのは決して無駄ではないのです。
「無駄」に思えるような努力を重ねたからこそ、本当に大切なことに気がつけたのです。
私達の普段の生活もそうではないでしょうか。
何をするのにも「効率的」ということが求められます。
坐禅なんかしても成績がよくならない。
坐禅なんか無駄じゃないかと思うかもしれません。
そんな時間があるなら、分かりやすい問題集を説いた方が、レベルの高い高校、大学へと進学し、良い会社に入って幸せに生きていける。
そんな風に考えてしまうかもしれません。
無駄かどうかは近い将来だけを見ていたら判断ができません。
親ねずみが大切なことに気がつけたのは、無駄にも見えるかもしれない出会いがあったからです。
では、私達はどうしたら良いのでしょうか。
まずは、無駄だと感じるときがあっても坐禅は続けましょう。
そして、それ以外にも
「あなたを大切に思ってくれている人に言われたことを、だまされたと思って挑戦してみましょう。」
理科が得意で理科を一生懸命勉強したい人に国語や英語の勉強をすすめても無駄だと思うかもしれません。
しかし、それは「無駄」なことではありません。
無駄だと思って勉強しないことこそが、一番の無駄であり失敗です。
無駄だと思っても一生懸命することで必ず道は開けます。
それよりも良いのは、親ねずみのように無駄だと思わず、一生懸命に取り組むことです。
そうすれば、どんなに回り道をしたとしても本当に大切なことに気がつくことができるのです。
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