遺教経に学ぶ 【2-2】

「生きるってなに? 死ぬってなに?」東京書籍

という児童書の中で
納棺師の笹原留以子氏は
亡くなってもなお、
人は人の中に
生き続けている
とおっしゃっています。
笹原氏は東日本大震災の際に、現地で遺体を復元して棺に納めるボランティアに従事された方です。東日本大震災の際には600人もの「死」、そして悲しむ遺族と向かい合ってきた方です。
そのような経験をした方が発する言葉には力があり、説得力があります。
「亡くなった方はどこへ行ってしまうのか?」
多くの方が疑問に感じる問題です。
この問題に対して笹原氏は「・・・人の中に生き続けている」と答えられているのです。
このように答えられている方は笹原氏だけではありません。
お釈迦様の教えの中にも同じことを伝えてくれる言葉があります。
それは、遺教経というお経の中にあります。
遺教経とは、お釈迦様が亡くなる際に遺されたと言われる、最後の教えです。その中に次のような言葉があります。
応(まさ)に度(ど)すべき所の者は、
皆(みな)、已(すで)に度し訖(おわ)って、
沙羅双樹(さらそうじゅ)の間に於(おい)て、
将(まさ)に涅槃(ねはん)に入りたまわんとす。
という一文です。
救うべきものは
全て救い終わり、
沙羅双樹の間で
涅槃に入ろうとしている。
という意味です。
この中に「沙羅双樹の間で」とあります。
沙羅双樹というのは「木」です。
お釈迦様が亡くなった場面を描いた涅槃図にも沙羅双樹が8本描かれており、その8本の沙羅双樹の間でお釈迦様が横になられている様子も描かれています。

そして、よく見ると8本の沙羅双樹の木は、4本が枯れて、4本が青々としています。
これは、お釈迦様亡くなったという悲しみのあまり、沙羅双樹が4本枯れてしまったという話によるものです。
このことを四枯四栄(しこしえい)と言うことがあります。
では、沙羅双樹が4本枯れてしまったことは、何を私達に伝えてくれているのでしょうか。
それが、肉体は滅びるが、教えは滅びることがないということです。
枯れた4本の木が肉体を、緑の木が教えを表しているのです。
では、どうしたら緑の木を保つことができるのでしょうか。
お釈迦様は「教えを大切にしなさい」と説かれ、
納棺師の笹原氏は先ほど紹介した著書の中で
「ありがとう」を 毎日伝えきっておく
という言葉を記してくれています。
私は 「伝えきっておく」という言葉の
「伝えきる」
「きる」
という部分に感動をしました。
感謝することに対して素直に「ありがとう」ということができることはとても大切です。
そして、「きる」という言葉は「感謝の気持ちを出し切る」ことの大切さを伝えてくれているように感じます。
上っ面のありがとうではなく、心からの「ありがとう」
これは難しいことです。
「ありがとう」という言葉の由来は
「いま命あること有り難し」
というお釈迦様の言葉です。
自分の命が、多くの命によって生かされていることに気がつくことで、心から「ありがとう」という言葉が出てきます。
自分にとって都合が良いか悪いか、相手が好きか嫌いか、そんな思いを持ちながらの「ありがとう」ではありません。
自分を捨てきったところにある「ありがとう」と言える心で生活することの尊さを
「ありがとう」を 毎日伝えきっておく
という言葉の中に感じます。
遺教経というお経には、なかなか触れることはないかもしれませんが、2月になると多くのお寺で涅槃図を掛けて涅槃会の法要が営まれます。
そこに描かれている沙羅双樹を見たときに、または日常の中で枯れた葉や緑の葉に触れたとき
「ありがとう」という言葉を思い出していただければ幸いです。
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