遺教経に学ぶ 【1-4】

これまで、
釈迦牟尼仏、初に法輪を転じて、阿若憍陳如(あにゃきょぢんにょ)を度し、最後の説法に須跋陀羅(しゅばつだら)を度したもう。
という遺教経の一文について紹介をしてきました。
遺教経はお釈迦様が亡くなられる際に説いた最後の教えです。
この最後の教えを東光寺ではお通夜の際にお唱えします。
お通夜が始まる際に、まずお唱えするのが遺教経です。
その最初の言葉が
釈迦牟尼仏、初に法輪を転じて・・・
という一文です。
これは
お釈迦様は、初めに5人の弟子に、そして最後にスバッタ教えを説き、悟らせた。
という言葉です。
そのまま見ていけば、お釈迦様の最初と最後の御弟子様を紹介しているだけのようにも見えますが、実際は違います。
以前の記事でも紹介をしているのですが、この一文は
・初めの5人の弟子からは、変わりゆくもののなかに大切な変わらないものがあること、
・最後の弟子からは、変わるときに年齢の制限などない、代わりたいと思ったときに人はいつでも変わることができる
ということを示してくれています。
私は、さらにこの一文を通夜の際にお唱えするときに感じることがあります。
それは、お釈迦様・弟子・悟らせた という言葉は 次のように置き換えることができるよう感じています。
お釈迦様 → 亡くなった親や子、家族、そして大切な人
弟子 → 私自身
悟らせた → 同じ境地になった
つまり
お釈迦様は、初めに5人の弟子に、そして最後にスバッタ教えを説き、悟らせた。
という一文は
大切な人と、出会ったときから今までに様々なことを教えてもらった。
そして同じ心になれることを知った。
同じ心になるということは、大切なあの人と一体になることであり、
これからもその心で一緒に生き続けることができるということ。
ということを思い出させてくれているように感じます。
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