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手を合わせると、つけっぱなしの電気に気がつける!?

夕方頃から外で塔婆の炊き上げをしていたときのことです。


ひたすら、お経を読みながら塔婆を燃やしました。


ようやく炊き上げを終えた頃には日は沈み、周囲は真っ暗になっていました。



600障子と灯り

ふと本堂を見ると、事務机の電気がついたままになっていて光が外に漏れていました。



炊き上げを始めたときは夕方、周囲が明るいから電気がついたままになっていることに気がつきませんでした。



電気の光量に変化はありません。常に光続けていました。


周囲が暗くなったから光に気がつくことができたのです。



仏教の教えなどの”救い”を「光」に例えることが多くあります。

同様に迷いや苦しみを「暗闇」に例えます。


暗くなってつけっぱなしの電気に気がついたとき、


暗闇に落ちて初めて救いに気がつくことができると感じました。




私達は、つけっぱなしの電気と同様に、誰かを救い続けようとしている人のことになかなか気づくことができません。

電気のつけっぱなしはもったいないのと同じように、

救いに気がつかないのはもったいないことです。



電気のつけっぱなしに気がつくために「立ち止まって振り返る」ことが大切です。

同じように”救い”に気がつくためにも、「立ち止まって振り返る」ことが大切です。



私は普段の生活の中で合掌することを「立ち止まって振り返る」ことだと考えています。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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