分解と再生と環境

テスト直前になって机の上や部屋の片づけを始めたことはありませんか。
私はよくやっていました・・・
「テスト勉強をする環境を整えるぞ!!」と自分に言い訳をして勉強から逃げていただけかもしれません・・・
でも、やっぱり環境は大切かもしれません。
先日からこのブログ
・絵葉書 松樹千年翠
※記事はこちらです。
・動的平衡 禅語「松樹千年翠」との共通点
※記事はこちらです。
という二つの記事の中で禅・坐禅の説明と生物学者福岡伸一氏の言葉の共通点について紹介をしてきました。
この中で、生命の説明として
「分解と再生を繰り返すことで環境の変化に適応できる」
という言葉を紹介してきました。
分解と再生を繰り返すことで環境の変化に適応できるということは、
分解と再生をしたときに、環境の変化に適応できる部分だけが残っていく
ということです。
分解と再生を繰り返したときに、AというものとBというものができたとしたら、環境に適応しているどちらかが残っていくということです。
ということは、分解と再生をする環境によって出来上がるものが違ってくるのです。
これが生命の本質なのだと思います。
そして、「環境」を「習慣」という言葉に変換すると、このことを普段の生活に当てはめることができます。
悪い習慣の中で分解と再生を繰り返せば、悪い部分が生き残り、
良い習慣の中では良い部分が残ると言えます。
ここで言う「良い習慣」、「悪い習慣」とはどういうことでしょうか。
それは、何か特別なことではありません。私達はすでに受け取っている習慣です。
その1つが「合掌」です。
合掌の心を
右ほとけ 左凡夫と合わす手の 中ぞゆかしき 南無の一声
と表します。
合掌をしたとき、私達の心は調っていきます。
合掌をして呼吸を調えれば、煩悩の心は少しだけ分解され、生まれ変わり仏の心が残ります。
こういったことから
「分解と再生を繰り返し環境の変化に適応できる」
という言葉に触れたとき、
合掌のような良い習慣「環境」によって 尊い心が目覚めるのは生命の本質だと私は感じます。