動的平衡 禅語「松樹千年翠」との共通点
※記事(絵葉書 松樹千年翠)はこちらです。
この中で、松が緑を保つために分解と再生を繰り返していると紹介をしました。この「分解と再生を繰り返す」ということは仏教や禅の中でしか使われない言葉ではありません。
むしろ科学の世界で使われる言葉かもしれません。

生物学者の福岡伸一氏は著書 「動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか」 (木楽舎)の中で、生命について次のように紹介をしています。
サスティナブルなものは常に動いている。
(※サスティナブル = 持続可能な)
その動きは「流れ」、もしくは環境との大循環の輪の中にある。
サスティナブルは流れながらも環境との間に一定の動的平衡状態を保っている。
一輪車に乗ってバランスを保つときのように、むしろ小刻みに動いているからこそ、平衡を維持できるのだ。
サスティナブルは、動きながら常に分解と再生を繰り返し、自分を作り替えている。それゆえに環境の変化に適応でき、また自分の傷を癒すことができる。
このように考えると、サスティナブルであることとは、何かを物質的・制度的に保存したり、死守したりすることではないのがおのずと知れる。
サスティナブルなものは、一見、不変のように見えて、実は常に動きながら平衡を保ち、かつわずかながら変化し続けている。
その軌跡と運動のあり方を、ずっと後になって「進化」と呼べることに、私たちは気づくのだ。
松が絶えず緑色を保つことから、その変わらない姿の尊さを示す禅語「松樹千年翠」の紹介を読んでいるかのような文章だと感じました。
この文章を読んだとき、科学と宗教には共通する部分があることを改めて実感することができました。
さらに、
サスティナブル(持続可能なもの:生命)は、動きながら常に分解と再生を繰り返し、自分を作り替えている。それゆえに環境の変化に適応でき、また自分の傷を癒すことができる。
という言葉が印象的です。
分解と再生を繰り返すから環境の変化に適応できる。
この文章は坐禅の説明にも通じるように感じます。
坐禅は呼吸を大切にします。
全てを吐き出し、吐きつくしたら新鮮な空気を取り入れる。
この呼吸を繰り返すことで、心が静かになっていきます。
そして坐禅では、この呼吸一息の中に命の再生があると説きます。
吐ききることは死に切ること、吸うことで新しいいのちを実感することなのです。
この状態になったとき、「今、自分がいる場所こそが極楽浄土であった」と知ることができるのです。
改めて
「分解と再生を繰り返すことで環境の変化に適応できる」
という言葉は
「息を吐いて死に切り、息を吸って新しいいのちを実感することで、今ここが素晴らしい場所だと気がつく」
に通じています。
生命を科学的に突き詰めて説明したら、人の心のあり方をつきつめた禅語や坐禅の説明と同じになる。
当然といえば、当然かもしれませんが、とても興味深いことです。
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