毎週土曜日はインスタの日 【絵葉書 松樹千年翠】

分解と再生を繰り返し、生き続ける
松はいつでも緑色で、千年も生きると言われる程長寿。
雪が降っても折れることなく強靭である。
これにあやかって、新年に祈りを込めて「松樹千年翠(しょうじゅせんねんのみどり)」という掛け軸を飾るところも少なくない。
また、絶えず緑色を保つことから、松の緑に私達が生まれたときから頂いている尊い心、仏心を感じることができる。
実に縁起の良い言葉である。
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さてここで、松に関する、修行中の恥ずかしい話を一つ…
そのお寺には松があり、根本には苔が生えていた。
苔が生えていない場所は豪快に竹ぼうきでサッサと掃くことができるが、苔の場所はダメ。
苔が取れてしまう。
手で松の枯葉を拾うしかない。
さっきまで、勢いよく広い場所を掃除していたので、途端に作業が遅くなったように感じる。
“めんどくさいなー”という態度が出てしまっていたのか、そんな私に大先輩が、
「なんで松の葉を拾うか分かるか?」
と質問をした。
「苔を痛めないようにするためです!」
私は自信満々に答えた。
先輩は何も言わずにその場を離れていってしまった。
“お!正解だったんだな!”なんて当時の私は思っていたのだが、その答えがわかるのはずっと後の話…
10年近くが経過したころに参加した勉強会で、ある和尚様が
「松は緑と表現されるけど、枯葉は茶色だよね。私達は松の緑にばかり目がいってしまい、枯葉に気がつかない。枯葉を見れば松の緑の意味が分かるのに」
と言った。
その瞬間、「なんで松の葉を拾うか分かるか」と聞かれたことを思い出した。
私のトンチンカンな答えに先輩があきれたことに気がついた。
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「松樹千年翠(しょうじゅせんねんのみどり)」には続きがある。
【松樹千年翠 不入時人意】
「不入時人意」(ときのひとのこころに はいらず)である。
松は幾多の風雪にも屈することなく緑を保ち続けているけれども、その堅固なあり方に世の人々は気がつかない。
真実の教えというものは、実はあらゆる場所に様々な形で現れている。
しかし、それに気づける人はほとんどいない。
という意味だ。
「なんで松の葉を拾うか分かるか?」
という質問は、掃除方法や苔についての話ではなかったのだ。
松の緑は私達が生まれたときから頂いている尊い心、仏心を表している。
しかし、その緑がどのように保たれているのかを私達は見失いがちだ。
松は、緑を保ちながらも枯葉が落ちている。分解と再生を繰り返し、生き続けているのだ。
私達の心も同じだ。
生まれ変わり、死に変わる。
一呼吸の中に生死がある。
生死があるから仏の心を保つことができる。
一瞬、一瞬を大切にすることで限りなく湧き出る煩悩を払い、仏の心を保つことができる。
大先輩は、「松の緑と落ちた枯葉からそのことを学びなさい!!」ということを「なんで松の葉を拾うか分かるか?」との一言に込めてくれていたのだ。
松は今日も緑だ。
「分解と再生を繰り返し、生き続ける」ことを教えてくれている。
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