遺教経に学ぶ 【1-2】

遺教経(ゆいきょうぎょう)に学ぶ 【1-2】
【1-1】「阿若憍陳如(あにゃきょぢんにょ)を度し」についてはこちらをご覧ください。
お釈迦様が亡くなる際に遺された最後の教えである遺教経は
釈迦牟尼仏、初に法輪を転じて、阿若憍陳如(あにゃきょぢんにょ)を度し、最後の説法に須跋陀羅(しゅばつだら)を度したもう。
という言葉から始まります。
「度す」とは「渡らせる」や「悟らせる」という意味がある言葉です。
つまり、
お釈迦様は、教えを説くことで阿若憍陳如(あにゃきょぢんにょ)から須跋陀羅(しゅばつだら)までをも悟らせた。
と読むことができます。この中の
須跋陀羅(しゅばつだら)を度したもう
という一言からも様々なことを感じることができます。
最後の弟子である須跋陀羅(しゅばつだら)とはどのような人物なのでしょうか。
調べてみると次のような特徴があります。
・年齢は120歳
・もともとはバラモン教の哲学者であったが、お釈迦様が近くに来ていることを知って会いに来る。
・会いに来たときにはお釈迦様は病気で休んでいたので、他の弟子が彼を追い返そうとするが、お釈迦様が彼を部屋に招き入れる。
・お釈迦様の話を聞いて悟りを開く。
・悟りを開くがお釈迦様よりも先に亡くなる。
須跋陀羅(しゅばつだら)から私達が学ぶことは多くあります。
まずは120歳という高齢にかかわらず、バラモン教から仏教にかわるということからは
年齢に関係なく、”今“変わることができることを、
病に倒れるお釈迦様が須跋陀羅(しゅばつだら)を迎え入れたところからは
自分のことよりも他人を救おうとするお釈迦様の姿を、
悟りを開くがお釈迦様よりも先に亡くなるところからは
後先のことを考えずに”今”を大切にすることを
学ぶことができます。
これらのことを
「最後の説法に須跋陀羅(しゅばつだら)を度したもう。」
という短い一文に込めているのです。
この一文を目にしたとき、他人が変わったと読み取るのではなく
「今、あなたが変わるときだ!!」と私に語りかけてくれていると感じることが大切です。