昔話 「姥捨て山」に学ぶ その5

昔話「姥捨て山(うばすてやま)」は
老人を捨てなくてはいけない国で、母を捨てることができなかった息子が、母に助けられながら国を救い、その働きによって「老人を捨てる国」から「老人を大切にする国」に変わっていくお話です。
実はこの昔話、お釈迦様の説かれた話がモデルになっているようです。ですから、姥捨て山の話は「老人を大切にすることの大切さを説く」だけでなく、非常に多くのことを教えてくれています。
姥捨て山【その5】
昔話「姥捨て山」では、お婆さんの教えで無理難題を解決することで、老人を捨てるという決まりが無くなります。
もちろん、この「無理難題」にも教えが入っています。
その無理難題の1つが
灰の縄を作れ
と言うものです。
昔話ができた時代の”縄”は藁(わら)を使って作ります。
藁を叩いてやわらかくして、それを編んで縄を作ります。
この縄を”灰”で作れと言うのです。
しかし、御存じの通り灰はポロポロしているので、縄などになるはずがありません。
しかし、お婆さんはこの問題を聞いて、
「縄を作って、それを燃やしなさい。残るのが灰でできた縄だ」
と言ったのです。
もちろん、この方法なら灰でできた縄が完成します。
しかしこれは単なるクイズではありません。
縄、灰、灰でできた縄にはそれぞれ意味があると私は感じています。
縄は人間を、
灰は慈悲を、
灰でできた縄は仏
を表します。
そのように考えるとこの昔話姥捨て山は少し違った風にとらえることができるものです
藁でできた縄は火をつければ簡単に燃え上がります。
これは人間が簡単に怒りの炎に包まれることに似ています。
そして、怒りの感情などが燃え尽きた状態を仏教では「仏」と表現します。
そう考えると、燃え尽きた縄は仏を表しているように感じることができます。
では、灰を集めて縄ができるのか!?
残念ながらできません。
問題集をいくら本棚に並べても、勉強はできるようになりません。
問題集を繰り返し使うから、勉強ができるようになります。
同じように多くの慈悲の心を集めてきても仏にはならないのです。
慈悲の心を自分の中に持つから、私達は仏となることができるのです。
白隠禅師坐禅和讃というお経の中に
衆生の他に仏なし
衆生近きを知らずして
遠く求むるはかなさよ
という言葉があります。
衆生とは全ての人々という意味もありますので、
私達以外に仏はありません
私達自身が仏なのに
遠くに仏を探すのはもったいないことです
と言っているのです。
人がいる、私がいる、あなたがいる、だから仏はそこにいるのです。
このことを、「灰の縄を作れ」という問題は教えてくれているように私は感じています。
※姥捨て山の記事の一覧やお話しの概要はこちらの記事をご覧ください。
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