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昔話 「姥捨て山」に学ぶ その2

姥捨て山【その2】

 600仏教豆知識シール 408-414 昔話シリーズ 姥捨て山2



昔話「姥捨て山(うばすてやま)」は


老人を捨てなくてはいけない国で、母を捨てることができなかった息子が、母に助けられながら国を救い、その働きによって「老人を捨てる国」から「老人を大切にする国」に変わっていくお話です。





実はこの昔話、お釈迦様の説かれた話がモデルになっているようです。

ですから、姥捨て山の話は

「老人を大切にすることの大切さを説く」だけでなく、非常に多くのことを教えてくれています。






姥捨て山の前半は、母親を山に捨てに行く場面が主に描かれています。


話しによって少し違いはありますが、老人を捨てに行く山は次のように表現されていることが多いようです。


奥の奥の山奥まで行きました。

山の上はしんとして、鳥のさわぐ音もしません。

月の光ばかりがこうこうと、昼間のように照り輝いていました。

お百姓は草の上におかあさんを下ろして、その顔をながめながら、ほろほろ涙をこぼしました。





この場面は、何を伝えてくれているのでしょうか。


私は、この美しい光景の中でお婆さんが生きていることが大切だと感じます。


この美しい光景は「天国・極楽・悟りの世界」を表現しているように感じるのです。


私達はよく、「天国と地獄」や「極楽」といった言葉を使います。


このとき、天国、極楽、地獄はどこにあると考えますか?


死後の世界と考えてしまいがちです。


しかし、仏教ではこれらの世界は死後に行く場所ではなく、生きている「今・ここ」にあると説くのです。




天国や極楽は決して、遠い世界ではありません。


同じように悟りの世界も死後にしか行くことができない場所ではありません。


様々な修行や経験によって悩みや苦しみから解放された心を「悟り」と表現します。


姥捨て山の話ではお婆さんが生きているうちに美しい光景の場所に運ばれることによって、天国や極楽、悟りの世界は決して死後の世界ではないことを教えてくれているのです。


約250年前に活躍をした白隠禅師という和尚様は、白隠禅師坐禅和讃というお経の中でこのことを




衆生の他に仏なし

衆生近きを知らずして

遠く求むるはかなさよ




私達以外に仏はありません

私達自身が仏なのに

遠くに仏を探すのはもったいないことです





と表現をしています。


姥捨て山の話を聞いたり思い出したときには、この言葉を思い出してくれたらうれしいです!!




※姥捨て山の記事の一覧やお話しの概要はこちらの記事をご覧ください。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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