二つに分けるのは人のはからいである

研修で、静岡市にあるグランシップという場所に行きました。
富士山がキレイに見える場所としても知られており、せっかくなので休憩時間に展望ルームへ行きました。
雲一つない良い天気と言うこともあって正面に富士山がキレイに見えました。
雲に隠されていない富士山を見ていると、
「そういえば1週間前に海の近くから見たときも雲がなくて富士山が丸見えだった!」
ということを思い出しました。
そこで、1週間前に撮影した丸見えの富士山の写真を見て驚きました。

雲があったのです!!
雲などないと記憶していたのに、しっかりと写っていました。
そこに存在する雲を私が見落としていたのです。
と、言うよりも「良い天気」という思い込みが、存在した雲を消してしまっていたのです。
仏教聖典の中に
二つに分けるのは人のはからいである
という言葉があります。この言葉の前後に
意味のないものと意味のあるものとの二つがあるのでなく、善いものと悪いものとの二つがあるのでもない。
二つに分けるのは人のはからいである
はからいを離れた智慧をもって照らせば、すべてはみな尊い意味を持つものとなる。
と言う文章があります。
私達は普段から
はからいを離れた智慧をもって周囲を照らさなければなりません。
しかし、「富士山に雲が何もかかっていない」という間違った思い込みをしてしまうほど、私達の頭は”はからい”を離れることができません。
しかし、”はからい”を離れる方法はいくつもあります。
その1つが坐禅です。
もちろん少しだけ坐禅をした瞬間に”はからい”がない心になるわけではありません。
でも、坐禅をしたときに頭の中に何かが激しく動いていることに気がつくことができます。
ここが大切です。
富士山に雲がかかっていることを正しく認識するように、
頭で考えてしまっていることを正しく認識することが今の私達にできることだと思います。
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