調える と 整える は何が違うの?

最近、改めて「調える」 と 「整える」にはどのような違いがあるのかを考えたとき、
臨済宗妙心寺派の生活信条の
1日1度は静かに坐って 身と呼吸と心を調えましょう
という言葉の奥深さを感じました。
以前
「整える」 と 「調える」 という題で記事を書きました。
※記事はこちらです。
https://blog.tokozenji.net/blog-entry-1956.html
上記の記事の中にも書いてありますが、
我々臨済宗の僧侶は坐禅を説明するときに
身体と呼吸と心を調える
と、「調える」という漢字を使います。
「整える」には「形を正しくする」という意味があり、
「調える」には、「まとめる・和合する」という意味があります。
では、なぜ坐禅を説明するときに「形を正しくする」整えるではなく、「和合する」調えるを使うのでしょうか。
「坐禅の坐り方は、足をこうして、手をこうして・・・・」といって形の説明をするので「整える」でも良い気がします。
しかし、残念ながら言われたとおりの形になることが坐禅ではありません。
決められた時間の通りに息を吐いて、吸うことが坐禅ではありません。
身体だけはない、呼吸だけでもない、身体と呼吸を意識することで心が落ちついていくことを実感することが坐禅です。
身体と呼吸と心が調和することが坐禅なのです。
このことを
1日1度は静かに坐って 身と呼吸と心を調えましょう
という言葉がとっても端的に示してくれていることに最近になって気がつくことができました。
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