坐禅をすると心が調うの!?

坐禅をすると心が調う。
と誰かが言っていた。
私にはなかなか実感ができない。
私は坐禅をしていると、いつもより多くのことが頭の中に浮かんでくる。
「心が調う」とは正反対な自分が嫌になった時期もある。
しかし、仏教聖典のこの一節を読むと少し安心する。
人は心の動くままにあやつられて動きがちである。
人の心は、ともすればその思い求める方へと傾く。
貪りを思えば貪りの心が起こる。
瞋りを思えば瞋りの心が強くなる。
愚かなことを思えば愚かな心が多くなる。
貪りと瞋りと損なう心を砕いて、貪らず、瞋らず、損なわない心を育てなければならない。
牛を飼う人は、春になって野原の草が芽をふき始めると牛を放す。しかし、その牛の群れの行方を見守り、その居所に注意を怠らない。
人もまた、これと同じように、自分の心がどのように動いているか、その行方を見守り、行方を見失わないようにしなければならない。
貪らず、瞋らず、損なわない心を育てなければならない。
そのために
自分の心がどのように動いているか、見失わないようにしなければならない。
と伝えてくれている。
私は坐禅をしていると、いつもより多くのことが頭の中に浮かんでくる。
と、思い込んでいた。
しかし実は、いつもより多くのことを考えているのではなく、頭の中で考えていたことに気がつけた瞬間だったと感じた。
自分の心がどのように動いているか見えた瞬間だったのだ。
きたない部屋も、窓を閉め、扉を閉めて、外から眺めてみれば部屋の中が綺麗か汚いかもわからない。
坐禅をすると心が調う。
と言う人は、汚い部屋のドアを開け、窓を開いて、部屋の掃除が完了した人。
私は、汚い部屋だと認識できた人。
・・・そこまで悪くないかもしれない。
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