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最初の一歩を慎め 【仏教聖典】

600とどろきさんのお味噌汁 (2)


精進料理をいただいたときに、とっても美味しいみそ汁に出会いました。


白みそ(西京味噌)のみそ汁でした。


料理を作ってくださった和尚様に


「みそ汁おいしかったです!」


と言うと


「そうでしょ、具のカブのダシも出ておいしいでしょ!」


と言われました。




その言葉を聞いて


みそ汁 = みそ


ではなく


みそ汁 = みそ + ダシ


であることを思い出しました。



そして、味に関しては、お互いが高めあう関係にありますので


みそ × ダシ = おいしいみそ汁


とも表現できるかもしれません。






以前、お釈迦様の教えを現代の言葉で説いた仏教聖典に「幸福を生む方法」について書かれた部分があり、そこには


一つのたいまつから何千人の人が火を取っても、そのたいまつはもとのとおりであるように、幸福はいくら分け与えても、減るということがない。


と書いてあることを紹介させていただきました。
※記事はこちらです。



実は仏教聖典のこの言葉には続きがあります。


道を修める者は、その一歩一歩を慎まなければならない。志がどんなに高くても、それは一歩一歩到達されなければならない。
道は、その日その日の生活の中にあることを忘れてはならない。




とあるのです。


幸福はいくら分け与えても、減るということがないということを実体験することが「道を修める」ことであり、その「道」は日常の中にあると2,500年以上前のお釈迦様は言うのです。


このことを250年前に今の静岡県で活躍をされた白隠禅師は


動中の工夫は 静中に勝ること 百千億倍す


と表現しています。


動中(どうちゅう):作務などの体を動かす日常の修行

静中(じょうちゅう・せいちゅう):坐禅修行


ですので、


作務などの日常を大切にするほうが、坐禅の百千億倍勝っている


と、言おうとしているのです。



この言葉は、どちらかだけが優れているかを説いている言葉ではありません。


「百千億倍」とあるように、お互いが関係しあっていることを示しており、


坐禅をしっかりすることで、日常の修行もより深みを増すことを示しているのです。




精進料理は

味噌 × 出汁 = おいしい味噌汁

を示し、



白隠禅師は

動中 × 静中 = 悟り

と示します。




仏教聖典の

道は、その日その日の生活の中にあることを忘れてはならない。

は日常だけを大切にしろと言っているのではありません。


日常こそが修行であると説いているのです。



それを


日常 × 坐禅の心(坐禅の姿勢と呼吸) = 幸福に気づく


と表現できると私は考えています。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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