最初の一歩を慎め 【仏教聖典】

精進料理をいただいたときに、とっても美味しいみそ汁に出会いました。
白みそ(西京味噌)のみそ汁でした。
料理を作ってくださった和尚様に
「みそ汁おいしかったです!」
と言うと
「そうでしょ、具のカブのダシも出ておいしいでしょ!」
と言われました。
その言葉を聞いて
みそ汁 = みそ
ではなく
みそ汁 = みそ + ダシ
であることを思い出しました。
そして、味に関しては、お互いが高めあう関係にありますので
みそ × ダシ = おいしいみそ汁
とも表現できるかもしれません。
以前、お釈迦様の教えを現代の言葉で説いた仏教聖典に「幸福を生む方法」について書かれた部分があり、そこには
一つのたいまつから何千人の人が火を取っても、そのたいまつはもとのとおりであるように、幸福はいくら分け与えても、減るということがない。
と書いてあることを紹介させていただきました。
※記事はこちらです。
実は仏教聖典のこの言葉には続きがあります。
道を修める者は、その一歩一歩を慎まなければならない。志がどんなに高くても、それは一歩一歩到達されなければならない。
道は、その日その日の生活の中にあることを忘れてはならない。
とあるのです。
幸福はいくら分け与えても、減るということがないということを実体験することが「道を修める」ことであり、その「道」は日常の中にあると2,500年以上前のお釈迦様は言うのです。
このことを250年前に今の静岡県で活躍をされた白隠禅師は
動中の工夫は 静中に勝ること 百千億倍す
と表現しています。
動中(どうちゅう):作務などの体を動かす日常の修行
静中(じょうちゅう・せいちゅう):坐禅修行
ですので、
作務などの日常を大切にするほうが、坐禅の百千億倍勝っている
と、言おうとしているのです。
この言葉は、どちらかだけが優れているかを説いている言葉ではありません。
「百千億倍」とあるように、お互いが関係しあっていることを示しており、
坐禅をしっかりすることで、日常の修行もより深みを増すことを示しているのです。
精進料理は
味噌 × 出汁 = おいしい味噌汁
を示し、
白隠禅師は
動中 × 静中 = 悟り
と示します。
仏教聖典の
道は、その日その日の生活の中にあることを忘れてはならない。
は日常だけを大切にしろと言っているのではありません。
日常こそが修行であると説いているのです。
それを
日常 × 坐禅の心(坐禅の姿勢と呼吸) = 幸福に気づく
と表現できると私は考えています。
- 関連記事
-
- 坐禅をすると心が調うの!? (2021/12/07)
- やっぱり苦しみは自分で作っている (娘が落とした箸に学んだこと) (2021/12/01)
- 最初の一歩を慎め 【仏教聖典】 (2021/11/24)
- 自分を救うのは生きている間だけ (2021/11/19)
- 初めての湿布に学んだこと (2021/11/14)