自分を救うのは生きている間だけ

先日“坐禅とは 【花園Q&A】より”という記事の中で
坐禅とは「自分が本当の自分になる安らかで楽しい教え」
という言葉を紹介させていただきました。
※記事はこちらです。
実は、この“坐禅とは”というページには続きがあります。
その中に印象的な言葉があります。
「他人を救うのは死んでからでも結構できるが、自分を救うのは生きている間でないとできない」
ここで言う「他人を救う」とは、供養のこと。
私達は亡くなった方の追善供養をすることで、その方が成仏することを願うことはできます。
しかし、自分が死んでしまったら・・・
周囲の方に追善供養をしてもらえる可能性はありますが、自分で追善供養をすることはできません。
生きている間しか、救えない存在であるのです。
そしてその方法として“坐禅とは”というページには
明けても暮れても「この身今生において度せずんば(どせずんば)、更にいずれの所に向ってかこの身を度せん」という誓願を心に強く持つことが何より大切なことであります。
と書いてあるのです。
自分を救う = 度す(どす)
ということなのです。
※「度す」とは迷いの此岸(しがん)から悟りの彼岸(ひがん)へと渡ることを意味しています。
坐禅をしている時も、していない時も、この心を持ちつづけることが大切であり、それがそのまま自分を救うことになるのです。
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