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自分を救うのは生きている間だけ

600坐禅 座布団 (2)


先日“坐禅とは 【花園Q&A】より”という記事の中で

坐禅とは「自分が本当の自分になる安らかで楽しい教え」

という言葉を紹介させていただきました。
※記事はこちらです。




実は、この“坐禅とは”というページには続きがあります。


その中に印象的な言葉があります。


「他人を救うのは死んでからでも結構できるが、自分を救うのは生きている間でないとできない」


ここで言う「他人を救う」とは、供養のこと。


私達は亡くなった方の追善供養をすることで、その方が成仏することを願うことはできます。




しかし、自分が死んでしまったら・・・


周囲の方に追善供養をしてもらえる可能性はありますが、自分で追善供養をすることはできません。


生きている間しか、救えない存在であるのです。




そしてその方法として“坐禅とは”というページには



明けても暮れても「この身今生において度せずんば(どせずんば)、更にいずれの所に向ってかこの身を度せん」という誓願を心に強く持つことが何より大切なことであります。




と書いてあるのです。

自分を救う = 度す(どす)

ということなのです。
※「度す」とは迷いの此岸(しがん)から悟りの彼岸(ひがん)へと渡ることを意味しています。



坐禅をしている時も、していない時も、この心を持ちつづけることが大切であり、それがそのまま自分を救うことになるのです。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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