月食と幸せ
令和3年11月19日の午後4時18分~午後7時47分に大きな月食を観測できるというニュースを見ました。
楽しみです。

写真は3年前に撮影した月食です。
御存じの通り、月食とは月が地球の影になって欠けたように見える現象です。
月がなくなるわけではありません。
仏教の教えを分かりやすい言葉で紹介してくれている仏教聖典に
「幸福を生む方法」という項目があります。
そこには
と書いてあります。なんだか理想論にも見えてしまいますが、私はその後の言葉が好きです。
幸福とは決して減ることのないものだと説くのです。
この言葉は
「誰かに何かをあげたら自分のものが減ってしまう、それは嫌だ。」
などと考えてしまいがちな私に
「減ったときに損をした気持ちになるようなものは、いくら持っていても本当の幸せではない」
と語り変えてくれます。
月食が起こっても月はなくなることがありません。
減っている訳でもありません。
地球の影になって見えなくなっているだけです。
幸せは月のようなものかもしれません。
誰もが減ることがない真ん丸の幸せと呼ぶお月様を持っている。
ただ、時々見えなくなったり欠けて見えるように、幸せの心が見えなくなってしまう。
しかし、月がなくならないのと同じように、幸せの心はなくならい。
地球が動くことで月が見えるように、自分が動けば幸せが見えてくる。
月食のニュースを見ながら「幸福はいくら分け与えても、減るということがない。」という言葉を見ていると、そんなことを感じます。
楽しみです。

写真は3年前に撮影した月食です。
御存じの通り、月食とは月が地球の影になって欠けたように見える現象です。
月がなくなるわけではありません。
仏教の教えを分かりやすい言葉で紹介してくれている仏教聖典に
「幸福を生む方法」という項目があります。
そこには
人は利己的な心を捨てて、他人を助ける努力をすべきである。
他人が施すのを見ればその人はさらに別の人を幸せにし、幸福はそこから生まれる。
と書いてあります。なんだか理想論にも見えてしまいますが、私はその後の言葉が好きです。
一つのたいまつから何千人の人が火を取っても、そのたいまつはもとのとおりであるように、幸福はいくら分け与えても、減るということがない。
幸福とは決して減ることのないものだと説くのです。
この言葉は
「誰かに何かをあげたら自分のものが減ってしまう、それは嫌だ。」
などと考えてしまいがちな私に
「減ったときに損をした気持ちになるようなものは、いくら持っていても本当の幸せではない」
と語り変えてくれます。
月食が起こっても月はなくなることがありません。
減っている訳でもありません。
地球の影になって見えなくなっているだけです。
幸せは月のようなものかもしれません。
誰もが減ることがない真ん丸の幸せと呼ぶお月様を持っている。
ただ、時々見えなくなったり欠けて見えるように、幸せの心が見えなくなってしまう。
しかし、月がなくならないのと同じように、幸せの心はなくならい。
地球が動くことで月が見えるように、自分が動けば幸せが見えてくる。
月食のニュースを見ながら「幸福はいくら分け与えても、減るということがない。」という言葉を見ていると、そんなことを感じます。