初めての湿布に学んだこと

これまで私は湿布に対して
「湿布は大きな保冷剤」
そんな思い込みをしていました。
先日、腕が痛いと感じたのですが、すぐに治るだろうと考えて何もせずに過ごしていました。
腕を痛そうにしていると、妻に「早くに病院行きなさい」と言われたのですが、病院が苦手なため、ありがたい言葉も受け流してしまいました。
すると数日後、原因不明の腕の痛みは服を着たり脱いだりすることができないほどになってしまいました。
このままではまずいと感じて、とうとう病院へ行きました。
話しを聞き、腕を触った先生が
「腱鞘炎の一種だね。湿布を1週間貼っておけば大丈夫!」
というのです。
湿布なんてただの保冷剤じゃないか!!と、心の中でとんでもない誤解をしながらも湿布をすること1週間・・・
治りました!!
見事に治りました!!
湿布ってすごい!!!
感動しました。貼ったその日から、痛みはやわらぎ数日で通常通り動くことができるようなるなんて。
「湿布は大きな保冷剤」などと大きな誤解をして40年以上過ごしてきた過去の自分をしかりつけたくなります。
湿布さんありがとう!!
・・・湿布には感謝をしていますが、今回の記事は湿布のすばらしさを説くものではありません。
湿布のすばらしさを実感したときに「庵原の平四郎」の話を“NHKこころの時代 禅の知恵に学ぶ”で山川宗玄老師が話されていることを思い出したのです。

庵原の平四郎は250年前に活躍された白隠禅師が残したお話です。
(以下、NHKこころの時代 禅の知恵に学ぶより)
庵原に住む平四郎は滝の水が滝壺に落ちると、水泡がいくつも浮かんでは消える姿を見て「自分の命もあとわずかかもしれない。このままではいかん」と思ったのです。
そして、滝から家に帰ろうとしたそのとき、
「勇猛の衆生のためには成仏一念にあり。懈怠の衆生のためには涅槃三祇にわたる」という『大乗起信論』の一節が聞こえたのです。
「懈怠の衆生」とは、怠け者のこと。「涅槃三祇にわたる」とは、仏が涅槃に入られてその状態が三祇劫続き、その間この世に仏の光が届かないということです。「三祇」というのは、とんでもなく長い年月のこと(戯れに計算してみたら、十の二十四乗年でした)。怠け者の修行者は、長い年月を虚しく過ごして、最後は苦しんで死んでいく。一方、勇猛果敢に修行に取り組む者は、あっという間に仏になる。つまり、悟りを開くというのです。
それを聞いた平四郎は、「よし、俺もやるぞ!」と急いで家に帰りました。
風呂の戸を開け、家人に「誰も入るな」と告げて坐り込みました。見よう見まねで、尻の下に座布団を敷いて、脚は結跏趺坐に組んでみます。途端に脚が痛くなりましたが、とにかくウンウンと唸りながら坐ったのです。やがて疲れてきて、眠気が襲ってきます。それでも歯を食いしばって「なにくそ」と坐っていると、今度は妄想が次々と襲ってきました。「こんなことをして、何の意味があるのか」「もっと楽に生きなけりや損じゃないか」……そんな妄想に対して、平四郎は「なにくそ」と闘い、坐り続けました。
そうして、フツと気づいたら、自分の体が何もない。体の感覚がまるでないのです。それからどれほどの時が過ぎたのかわかりませんが、何かの拍子にハッと思って床を見たら、なんと目がそこに飛び出していたのです。「なんだ、床に目があるじやないか」と思った瞬間、スツと目が元に戻って、「あれ?」と思ううちに腕が、脚が、だんだん体に戻ってきました。
平四郎は、不思議に思いながら、感覚が戻ってきた脚を解いて、外に出ました。
すでに夜が明けており、いつものように木々の間で鳥が鳴いています。いつもどおりの景色なのですが、彼はハッと息を飲みました。鳥の声は信じられないほど美しく、木々は輝いて見える。同じ景色なのに、まったく違うものに感じます。あまりに不思議なので、彼は三日間、同じように坐り続けてみました。毎日、同じように景色が輝いて見えました。平四郎は初めて坐禅をしたのですが、一晩で深い坐禅に入り、悟りの入り口を開いてしまったのです。悟りというのは、「解脱する」とか「成仏する(仏になる)」などとも言いますが、その気になれば、このような縁の人は一日でも、一瞬でも開けるものなのです。
(以上、NHKこころの時代 禅の知恵に学ぶより)
「勇猛果敢に修行に取り組む者は、あっという間に仏になる」ということを説くお話であることは間違いないのですが、
私はこの話を聞くたびに「最初の一歩を踏み出す」ことの大切さを感じます。
滝壺の水泡を見て、仏教の教えを聞いたその日に坐禅を始めています。
過去の話だけでなく、現在でも突き抜けた方は行動力があります。
「こうしたい!」と感じたら、即行動。
これができる方が成功を収めていることが多いように感じます。
まさに、湿布のすばらしさに40年以上気づかなかった私と対照的な世界です。
なぜ私は40年間湿布のすばらしさに気づけなかったのか。
それれは「思い込み」です。
過去の経験から
病院に行っても原因はわからない。
寝ていれば治る。
湿布は大きな保冷剤。
などなど、多くの思い込みを作り上げてしまっていたのです。
これは過去の出来事には有効だったかもしれませんが、今回の手の痛みにはまったく関係のないことです。
こういった思い込みを普段から捨てていくこと。
捨てることによって最初の一歩を踏み出すことがきることを、湿布と庵原の平四郎のお話に教わった気がします。
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