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山の草刈りと無明

山の草刈りをしているときに仏教聖典に出てくる「無明」という言葉を思い出しました。



600山開き202111031

草だらけの場所の草を刈ることで





600山開き202111032

道が現れました。




この道は私が作ったわけではありません。


専門家にお願いをして作ってもらった道です。


しかし、春から夏にかけて草刈りをしなければ道は草に覆い隠されてしまいます。


せっかく作ってくれた登山道がどこにあるか分からないくらい草だらけにしてしまった私の心が「無明」だったのかもしれないと感じたのです。




仏教聖典に「無明」という言葉が出てきます。

無明とはなんでしょうか。


無明とは無知のことで、 ものの道理をわきまえないことである。


と、仏教聖典に書いてあり、

さらに


正しい智慧のない状態をいう。迷いの根本である無知を指す。煩悩を煩悩たらしめる原動力のようなものととらえられている。


とも書いてあります。




草刈りをした様子で言えば


草だらけのこの状態を見たときに 下の方に見えるコンクリートの道が見えない状態を「無明」と言います。


自分が進むべき道を見失ってしまっているのです。


コンクリートがあると認識できれば その道の周辺にある草を刈っていくことができます。


しかしコンクリートがあることに気がついていないとすれば、そこから動くことができません。





では、仏教が説く


ものの道理をわきまえない、煩悩を煩悩たらしめる原動力


とまで言われる無明とはなんでしょうか。




それは、生まれたときから誰しもが仏様のような尊い心をもっていると説いた教えをを「知らない、否定すること」だと私は考えています。


道があることに気がつけば 道を開くことができる。

気がつかなければ何もできないどころか、間違った方向へと進み、自分だけでなく道具や他者すら傷つけてしまいます。


仏の心があることを知るから、信じることができるから、修行ができる。

修行ができるから 仏の心を体感できる。


草だらけの道を切り開く方法は様々です。

手で抜いていく方法、かまで刈る、草刈り機、薬を使う、火を使う・・・

一人、二人、多数、ロボット・・・



仏の心を体感する方法も様々です。

坐禅、読経、掃除、食事、供養、布施・・・・

一人で、二人で、大勢で・・・



1つだけ正解があるわけではありません。

自分に合った、縁があった方法をぜひ実践してみてください。

道が開けます。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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