昔話シリーズ 猿蟹合戦 【7.臼の登場】

昔話シリーズ 猿蟹合戦 【7.臼の登場】
この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)で行われてみんなの坐禅会(子供坐禅会)で私が話した内容をまとめたものです。
皆さんご存じの通り、猿蟹合戦【さるかにがっせん】のお話は
1.猿が蟹の持っていたおにぎりを柿の種と交換
2.蟹は柿の種を植えて育てる
3.できた柿を猿が食べて青い柿で・・・
4.栗の登場
5.蜂の登場
6.昆布の登場
7.臼の登場
8.猿をこらしめ、猿を許す
となっています。
この猿蟹合戦の話から、私達は様々なことを学ぶことができます。
今回は 「7.臼の登場」 という場面から何を学ぶことができるのかを紹介させていただきます。
猿蟹合戦では猿に殺された蟹の子供達が悲しんでいると
泣いている子ガニに
「かにさん、かにさん、なぜ泣くの。」
と聞きくと、子ガニは
「猿が親を殺したから、かたきを討ちたい」
と言いました。すると
「にくい猿だ。よしよし、おじさんがかたきをとってやるから、お泣きでない。」
栗と蜂と昆布と臼とは、みんなよって、かたき討ちの相談をはじめました。
と、栗・蜂・昆布・臼が登場します。
「猿蟹合戦」という物語ですので、殺されてしまった蟹の仲間が復讐をしてもよいのですが、復讐をするのは蟹ではありません。
昔話の中には様々な想いが込められています。
と、言うことは「臼」が登場したことにも意味があるはずです。
物語の中で臼は最後に猿に飛び乗ることで、猿をこらしめます。
私は臼が裁判官の役割を果たしているように感じます。
では、なぜ臼が裁判官なのでしょうか。
裁判官に必要なのは公正中立です。
好きな人の味方をして、嫌いな人には不利になることをしていてはできません。
その姿はまさに「臼」です。
「臼と言えば餅つき」
と思う人も多いかもしれません。
しかし、臼は餅つきだけでなく様々な働きをします。
収穫したお米を精米したり、もち米だけでなく「きび」を使ってキビ団子を作ったりもします。
このとき臼は決して文句を言いません。
収穫したばかりの米が入れば受入れ、蒸されて熱々のもち米が来れば受入れ、キネで叩かれても受け入れます。
熱いのは嫌だ、きびは嫌だ、米が良い・・・
そんな好き嫌いや差別をしません。
これを一般的には中立と呼ぶかもしれませんが、仏教・禅では
無分別【むふんべつ】
と表現します。
無分別は物事を区別して考えないことを意味していますが、妄想(思い込みなどから作られる差別の心)を離れることを意味しています。
あれは良い、これは悪い
こっちが得で、こっちが損
私達は普段から、比較や区別をしてしまいます。
そのようなことをせずに、ありのままに受け止め、受け入れることの大切さを「無分別」という禅語は教えてくれています。
同じことを伝えるために、全てを受け入れる「臼」が猿蟹合戦に登場するのだと私は感じています。

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