昔話シリーズ 猿蟹合戦 【5. 蜂の登場】

昔話シリーズ 猿蟹合戦 【5. 蜂の登場】
この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)で行われてみんなの坐禅会(子供坐禅会)で私が話した内容をまとめたものです。
皆さんご存じの通り、猿蟹合戦【さるかにがっせん】のお話は
1.猿が蟹の持っていたおにぎりを柿の種と交換
2.蟹は柿の種を植えて育てる
3.できた柿を猿が食べて青い柿で・・・
4.栗の登場
5.蜂の登場
6.昆布の登場
7.臼の登場
8.猿をこらしめ、猿を許す
となっています。
この猿蟹合戦の話から、私達は様々なことを学ぶことができます。
今回は 「5. 蜂の登場」 という場面から何を学ぶことができるのかを紹介させていただきます。
猿蟹合戦では猿に殺された蟹の子供達が悲しんでいると
泣いている子ガニに
「かにさん、かにさん、なぜ泣くの。」
と聞きくと、子ガニは
「猿が親を殺したから、かたきを討ちたい」
と言いました。すると
「にくい猿だ。よしよし、おじさんがかたきをとってやるから、お泣きでない。」
栗と蜂と昆布と臼とは、みんなよって、かたき討ちの相談をはじめました。
と、栗・蜂・昆布・臼が登場します。
「猿蟹合戦」という物語ですので、殺されてしまった蟹の仲間が復讐をしてもよいのですが、復讐をするのは蟹ではありません。
昔話の中には様々な想いが込められています。
と、言うことは「蜂」が登場したことにも意味があるはずです。
意味を込めて物語は作られたはずです。
では、「蜂」は何を伝えようとしてくれているのでしょうか。
蜂にもたくさんの種類がいますが、昔から人々に親しまれてきたのはミツバチではないでしょうか。
ミツバチには様々な習性があります。その一つが分封・分蜂(ぶんぽう)です。
これは春から夏にかけて見ることができる習性です。
新しい女王蜂が誕生すると、前からいた女王蜂は巣の中の約半数の働きバチと一緒に巣を出ていきます。
それぞれの蜂が巣から出ていき女王蜂についていくのですが、これが1つの固まりのように見えます。
もちろん、ミツバチのこの習性のことは昔から知られています。
私はこの無数の蜂が一つの固まりとなって動く姿を見ると
「大いなるいのち」という言葉を思い出します。
禅では「大いなるいのち」という表現をよく使います。
私達1人1人の“いのち”はすべて縁があり、決して1人のものではない。
それは滝のようなもので、私達が「自分のいのち」と思っているものは滝から飛び出した1粒の水滴だと説くのです。
水滴はやがて滝にもどり流れていきますが、時として再び飛び出す。これを繰り返しているのが私達の世界だと表現しています。
この滝を「大いなるいのち」と表現するのです。
もちろん、滝だけが「大いなるいのち」ではありません。
蜂の固まり、分封・分蜂(ぶんぽう)も「大いなるいのち」です。
猿蟹合戦に蜂が登場するのは、昔から人々が蜂に助けられ、そして蜂に学ぶことが多かったからだと私は感じています。
猿蟹合戦の物語を読み、蜂が登場したときに、蜂と同じように私達のいのちも、一つ一つが尊く、そして大いなるいのちの中にあることを思い出してみてはいかがでしょうか。

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