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昔話シリーズ 猿蟹合戦 【4.栗の登場】

600【昔話】50猿蟹合戦




昔話シリーズ 猿蟹合戦 【4.栗の登場】



この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)で行われてみんなの坐禅会(子供坐禅会)で私が話した内容をまとめたものです。



皆さんご存じの通り、猿蟹合戦【さるかにがっせん】のお話は


1.猿が蟹の持っていたおにぎりを柿の種と交換
2.蟹は柿の種を植えて育てる
3.できた柿を猿が食べて青い柿で・・・
4.栗の登場
5.蜂の登場
6.昆布の登場
7.臼の登場
8.猿をこらしめ、猿を許す



となっています。



この猿蟹合戦の話から、私達は様々なことを学ぶことができます。


今回は 「4.栗の登場」 という場面から何を学ぶことができるのかを紹介させていただきます。




猿蟹合戦では,、猿に殺された蟹の子供達が悲しんでいると



泣いている子ガニに

「かにさん、かにさん、なぜ泣くの。」

と聞きくと、子ガニは猿が親を殺したから、かたきを討ちたいと言いました。すると「にくい猿だ。よしよし、おじさんがかたきをとってやるから、お泣きでない。」

栗と蜂と昆布と臼とは、みんなよって、かたき討ちの相談をはじめました。





と、栗・蜂・昆布・臼が登場します。


「猿蟹合戦」という物語のですので、殺されてしまった蟹の仲間が復讐をしてもよいのですが、復讐をするのは蟹ではありません。


昔話の中には様々な想いが込められています。


と、言うことは「栗」が登場したことにも意味があるはずです。


意味を込めて物語は作られたはずです。


では、「栗」は何を伝えようとしてくれているのでしょうか。





私は


栗といえば、いがぐりを連想します。


ツルっとした栗を守るようにいがぐりがあります。


しかし、栗から針が生えているわけでありません。


ツンツンした針と栗は明確に違いがあり、針だらけのいがぐりはツルっと外すことができます。




この「栗」と「いがぐり」の関係は、


私達の「心」と「知識や経験」の関係に似ています。


いがぐりには栗を守るという大切な役目があります。


しかし、その2つは決して離れることができないわけではありません。


むしろ、ツルっと剥けてしまします。





同じように私達の「心」は「知識や経験」に守られています。


しかし、時として知識や経験が邪魔になって本当の心が見えなくなってしまうことがあります。


仏教・禅ではこの知識や経験にこだわることなく生きていくことで、ありのままの心を大切にすることを教えてくれています。


同じことを猿蟹合戦では、物語に栗を登場させることで教えてくれているように私は感じています。





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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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